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日本オープンゴルフ選手権競技 2012
出場選手が沖縄平和祈念公園を訪問
練習日にあたる10日水曜日にいったんコースを抜け出して、一同はコースから車で15分ほどの丘に向かった。
墓苑には、戦争で亡くなられた20万人余の方々の魂が眠ると言われる。
財団法人沖縄県平和祈念財団の上原兼治・常務理事兼事務局長の説明によると、終戦時には畑や野山、道といわず、また敵か味方か、民間か軍人かの判別もつかない遺体が、そこら中に転がっていたという。
高台にある納骨堂は、昭和54年に第一棟が創建されたが、それでも納まりきれずに2棟、3棟と増設されて、今も参拝者の献花が絶えない。
上原さんの話に耳を傾けるうちに、選手たちの表情は次第に険しくなっていった。
5人で黙祷を捧げ、墓苑に向かって神妙に手を合わせた。平和への祈りに心を込めた。
広島出身の倉本には、いつも身近に戦争があった。
「小さいころ、近くの川で遊んでいたら、骨がごろごろ出て来るんだ。原爆で焼かれ、逃げてきた人たちがみなそこにたどり着いて亡くなったんだね。市内には強烈な光と熱で、そこに座っていた人の影が残ってしまった場所もある」と、参拝のあとにそんな話を他の選手たちに聞かせた倉本。
「戦争時に特に多くの民間人の方々がなくなられたのが広島と長崎と、ここ沖縄です。また沖縄の方々には、いまもなお米軍基地や領土問題で、多大な負担がかかっている。今の平和や安全があるのは多くの部分で、沖縄の方々の犠牲の上に成り立っているということを、僕らは忘れてはならないと思う」。
宮本は「家族で年に1回は必ず訪れる」という自称・沖縄フリークだ。しかし、祈念公園に訪れたのは今回が初めてだった。
「学校で勉強したくらいのことは知っているけれど、沖縄の人たちが抱えている本当の問題や気持ちはまだまだ理解出来ていない部分が多くある。これを機会にもっと知りたいと思うようになりました」。
次の家族旅行では、必ずまたここに訪れたいと言った。
深堀もまた、初めての訪問に「絶対に歴史を繰り返しちゃいけない。先人の方々の苦労と悲しみがあって、僕らの世代があるのだから。それを改めて感じることが出来て今日、ここにお邪魔をさせていただいて本当に良かった」と、平和への思いを新たにした。
佐藤の祖父はフィリピンで戦死した。それだけに人ごとではない、という思いがある。「本土復帰40周年の沖縄で、日本オープンを開催出来るという、ことの大きさみたいなのを感じます」。
武藤は、幼いころの祖母の顔を思い出した。「学校で、おじいさんおばあさんに、戦争の話を聞いて来なさい、という課題が出た。でも祖母ちゃんに聞いたら話すのももう嫌だ、と。つらいのを思い出すから、と」。その脳裏にはきっと“地獄絵図”がよみがえっていたのだと、想像するにつけてもいたたまれない思いがする。
「平和な世の中で、いまこうして思い切りゴルフが出来るって本当に幸せだな、と思います」。
そんな気持ちでいることを、ゴルフを通して沖縄のみなさんに少しでも伝えられたら・・・。選手たちは、平和への祈りを胸に秘めながらコースに立つ。