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2013年のNEW FACE!!<浅地洋佑(あさぢようすけ)>
もっとも、すでに2013年の出場権は持っていた。
昨季のチャレンジトーナメントで最年少の1勝をあげて、同トーナメントの賞金ランキングは6位につけて、来季ツアーは前半戦に出られる資格はすでに獲得していたとは言うものの、「やっぱりフル参戦できる出場権が欲しい」と、自らにプレッシャーをかけて挑んだラストチャンスだった。
石川遼を生んだ名門、杉並学院高校を卒業するなり飛び込んだプロの世界。ファイナルQTは、ランク11位の資格で挑んだ昨年。しかし、「思うような成績が出なかった」。
序盤は、やはりりルーキーの藤本佳則や特に同い年の川村昌弘の活躍に「俺も」と躍起になるほどに、目標は遠のいた。
「精神的にもつらかった」という。
夏場には、結果を出さなければというプレッシャーから目に見えて食が細った。「お腹が減っているのに食べられないんです」と、体重は4キロ減。
そんな苦しい時期も、周囲のサポートを受けて乗り切った。
毎週、ツアーに付き添ってくれたお母さんの恩に、最高の形で答えることができたのだ。
28位タイで迎えたカシオワールドオープンの最終日。
「15位内はマスト」と頭の中で、そろばんを弾くほどに「後半はしびれていた」。
今年一番の重圧にもかかわらず、最後のパー5の18番も2打でグリーン奥のカラーに運んだ10メートルをきっちりと2回で沈めてのバーディ締めに「最後まで攻めのゴルフが貫けた」と、やっと頬が緩んだ。
ボギーなしの67で賞金ランキングは67位に食い込んで、「今日は100点」と逆転の初シード入りに、こわばっていた肩の力をようやく抜いた。最後の最後に19歳の底力を示してみせたのだった。
このオフは1月にサイパン合宿で、体をいじめ抜いて帰国すると、その月末には宮崎県で行われた日本ゴルフツアー機構主催の強化合宿「JGTOゴルフ強化セミナーin宮崎フェニックス・シーガイア・リゾート“2016年リオデジャネイロオリンピックを目指して”」に参加。
3年後のリオ五輪の選手強化を兼ねたセミナーで、世界の舞台も視野に仲間と一緒に汗を流した。
毎年11月に、ここフェニックスカントリークラブで行われる「ダンロップフェニックス」の出場経験はまだないが、合宿中の最初のラウンドでは難コースで74をマーク。
「ここでちゃんとスコアを取るのは初めてですが、ゴルフの調子も悪くない。まずまずですね」と、納得顔だ。
今季は米ツアーに、先輩は本格参戦を果たした。
「石川先輩は忙しくて、最近はゆっくり話す時間もありませんが、五輪にかける思いは僕と同じだと思います」と、その背中も十分に意識している。
「いくつになってもいい。僕も石川先輩のように、いつかは米ツアーにも挑戦したい」と言う浅地。シード元年の今年、大きな夢に向かって一歩を踏み出す。