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コカ・コーラ東海クラシック 2012
韓国のH・W・リューが日本ツアー初V
最終日は台風17号の襲来で、異例の措置が取られた。当初の予定より1時間早めて朝7時のスタートにも、その影響は早ければ午後から出始めるとの予報に、どうにか競技は終了できたとしても、数千人ものギャラリーの安全を確保するのは難しいと判断された。大会は、JGTO発足後としては初となる無観客試合を決めた。
早朝にきゅうきょ決まった苦渋の処置は、しかしプレーに感動してくれるファンがいない。いくつバーディを獲っても、「シン・・・」と静まりかえったままのコースに、やりにくさを感じる選手も多い中で、日本ツアーは今年1年目のリューにはむしろ、それが追い風になった。
慣れ親しんだ韓国ツアーなら、声援も力に変えられる。「でも日本は韓国よりもうんとお客さんが多いし、まだそういう雰囲気には慣れなくて」。大ギャラリーのプレーに緊張してスコアを崩すこともあっただけに、誰もいない最終組はむしろ集中してプレーが出来た。
飛距離はないが、正確無比なショットで確実にフェアウェイをとらえ、自他共に認める得意のパットで一時は3打差の独走態勢に。
しかし三好はやはり、楽には勝たしてくれない。
ツアーでもっとも最難関のうちのひとつと恐れられるパー3の16番。罠にはまった。ティショットは左の崖下。「噂は聞いていたけれど、これほどとは」。動揺を隠して木と木のわずかな隙間を縫って、直接ピンを狙った。2度のトライもむなしく、球は坂を転がり落ちた。
「3回目にやっと、気づいた。左のバンカー狙いだ、と」。ようやく脱出に成功したが、5オンの1パット。トリプルボギーを打った。
前の15番で見上げたリーダーボード。「漢字が読めない」。同組の金庚泰(キムキョンテ)に聞いた。あのスコアを伸ばしている選手は誰か、と。「片山さんだよ」。過去5度の賞金王の名前はもちろん知っている。「このコンディションで6アンダーなんて凄い」と、さきほど目を剥いたばかりだ。
16番の大叩きで並ばれたことは分かったが、「ここで何がなんでも優勝をと意気込んでいたら、私は勝てなかった」と振り返る。
今季の目標は、あくまでも初シード獲り。残り2ホールで、よほど欲張らなければほぼ達成したも同然だ。その安堵から「すごく気楽にやれました」と、本戦の18番では2.5メートルのパーパットを辛くも拾うと、なおさらプレッシャーとも無縁に。
サドンデスの18番は、風雨が次第に強さを増していく中で、ティショットを左の木の根元に打った片山を横目に、余裕のパーパットがウィニングパットになった。
参戦1年目にしてツアー初Vは「早すぎです」と、本人は謙虚に言うが、韓国勢も若手が台頭する中で、31歳の遅咲きだ。13歳からゴルフを始め、19歳でレッスンプロからスタートした叩き上げ。目標はいずれツアープロでも、まずは生活していくので精一杯。
「生徒さんとのつきあいも仕事のうち」と、酒にギャンブル。「何でもやった」と、放蕩三昧。2002年に韓国PGAの認定プロに昇格したが、「そのあとも遊びが過ぎた」と、さらに夢の舞台は遠ざかった。
2004年には、軍に入隊。2年の奉公はその間に、韓国からスター選手が次々と誕生していた。
若手の活躍にようやく重い腰を上げた。「俺も頑張る」。任務空けの一念発起。2007年にようやくデビューを果たすと2009年に制した新韓銀行オープンは、韓国のメジャー大会。KJチョイや、Y・E・ヤン、金庚泰(キムキョンテ)に裵相文(ベサンムン)ら、世界ランカーをなぎ倒して悲願の1勝をあげた。
「これで自信がついた」とステップアップを目指して、日本上陸を果たすなり半年足らずの初Vだ。
デビュー戦の開幕戦は、「あまりのレベルの高さに、本当に、やっていけるだろうか」。31歳の苦労人は、そんな不安もポーカーフェイスでひた隠して、難コースで我慢強く好機を待った。
実は、ビール1杯でも顔が真っ赤になるという下戸。デビュー前の無茶も「今は無理」と、09年に結婚をして、今は2歳になる長男をもうけてからは、自他共に認めるまじめ一途だ。
「いえ・・・実は」と、苦笑いで打ち明けた。
「今年、1度だけ呑みすぎてしまって」。そのあと2戦で予選落ちにはもう懲りた。これからも節制につとめてコツコツ地道にプレーを続ける。
「初シードも優勝もしてしまったので。残りシーズンの目標は、ただ楽しくゴルフが出来ればいいかな」と、米ツアーへの挑戦や、賞金王獲りを威勢よく公言する韓国勢の中にあって、異色の癒やし系は、「ああ・・・でも、そうですね。今度こそ大ギャラリーの前で、ガッツポーズを握って拍手を浴びるのもいいですね」。一見無骨な中堅がはにかんだ。