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三井住友VISA太平洋マスターズ 2013
谷原秀人がツアー通算10勝目【インタビュー動画】
「この3年間はとても長かったので」。勝てずにいたこの3年を象徴するように、この日も長く苦しい登山道となった。
上空を舞う風に翻弄されて、「強弱のジャッジが難しくて。ショットがそこそこにしかついてくれない」。距離感は結局、最後までつかめないまま。加えてシビアなピン位置に、自慢のパットもこの日は目下ランク1位の影もなく、前日までの勢いはぱたりと止んだ。
「バーディがなかなか取れない」。そのくせ、コースのあちこちから「ワーワー聞こえてきて」。他の組の大ギャラリーの歓声が不安をあおる。「いったいまわりはどうなっているのか」。6番で、ついに同組の若い川村に並ばれたが、「実際は、他もあんまり伸びてない」。要所要所でスコアボードを頼りに「みんなも苦しんでいる。こらえていれば、自分にもチャンスがある」と言い聞かせて、石橋を叩いて進んだ。
2010年に9勝目をあげてから、すぐにもにらんだ2桁勝利。「10勝している選手はツアーでも、そういない」。自分も早く大台をと、気は急いても「なぜか最後の一つがかみ合わない。優勝に結びつかない」。歯がゆかった。
「でもあいつらは、10勝までが早かった」。まだ20代の石川遼や、池田勇太のことだ。
ゴルフ界の将来を見据えて今年から、ジュニアと障害者を対象にしたゴルフ基金の設立に奔走する中堅は「若いやつらがバンバン勝つのはツアーにとっては凄く良いこと」。若手の台頭に目を細めながらも、自身は遅々として増えていかない勝ち星に、忸怩たる思いは募った。
「やっと、この3年間続けてきた地味な努力が実りました」。
昨年の平均パット数は1.728でランク1位。今季も、ここまで平均1.7293パットで1位を快走するのは、勝てずにいたこの3年間で培ってきたたまものだ。一時期はひどく肩を痛めて、自慢の飛距離も影を潜めて生き残っていくために、苦手な部門に力を入れるしかなくなった。
参考にしたのは「藤田さんのバシっと強気のパットと、庚泰(キムキョンテ)のゆったりとしたストローク」。一見、対局にある両者のいいとこ取りで練習に練習を重ねて、今や誰もが認めるパット巧者に。
「あとはティショット、アイアンがある程度真っ直ぐ行けばという自信はあった」。
最終日こそ、終盤は15番から3㍍のパーセーブを立て続けに逃して連続ボギーにヒヤリとしたが、難条件のなかでも最小限のミスに止めて逃げ切った。
昨年の今大会で達成した石川遼に続いて、晴れて史上31人目(1973年のツアー制度施行後)となるツアー通算10勝目に到達して「ひとつ、殻を破れたかな」と、これでやっと胸を張れる。
前日16日の誕生日に、自ら最高のプレゼントを贈った。ウィニングボールは、2歳になる長男の悠人くんの手に託した。
「子どもが出来てから初めての優勝ですし、これ以上ないうれしさ」。この日は、夫の着替えを持参して駆けつけてくれた献身の妻にもやっと報いた。
「今は覚えていなくても、写真に残しておくことが大事だから、と。早く勝ってとずっと嫁にもせっつかれていましたので」。絢香夫人と悠人くんと。家族の記念撮影に、仲良く笑顔で収まることが出来た。
これで、心置きなく旅立てる。次週は豪州のメルボルンで行われるワールドカップ。その直前に、相棒とのワン・ツーフィニッシュ。「遼もいい感じで終われたし、最高の形で臨める」。2位タイで今大会を終えた石川遼と目指すのは、もちろん世界一の座に決まっている。
「遼と力を合わせて伊澤さんと、丸山さんに続く優勝を持って帰る」。2002年以来の日の丸を、当地に掲げてくると決めている。
ひとしきり意気込みを語った記者会見で「今何時?」。時計の針を気にしながら「あとは、飛行機に間に合えば大ハッピーです」。そのとき15時5分前。予定の便は成田から19時50分発。本当ならいったん、都内の自宅に戻って荷物を詰め替え出直すはずだった。思いがけない最終日最終組に加えて、3年ぶりの美酒は表彰式やら、記者会見やら何やら。
嬉しい誤算は妻が持ってきてくれた荷物と素早く入れ替え、これから新幹線で移動する。
「間に合うかな?」と後片付けもそこそこに、すたこらさっさと猛ダッシュ。この日最後の難所・・・!! 最終日は競技を終えても谷原の戦いは、まだ終わっていなかった。19番ホールは時間との戦い。さて、この勝負はいかに。