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三菱ダイヤモンドカップゴルフ 2009

原口鉄也は大親友の激励に

特にドライバーのティショットが絶好調で、このコンディションの中フェアウェーを外したのは1ホールだけ。バーディこそ来なかったが、強風と格闘していたら、いつしかそんなことも気にならなくなった。

「スタートの10番なんて、ティショットが高く上がったと思ったら、ボールがすぐそこに落ちて来て。そういうのを何ホールもやってたら、そのうち開き直りみたいのが出てきて。一生懸命やるしかないなと思ったら、逆に集中できた」という。

この日は、午後スタート組。12時50分の1時間半前にコースに来て、風呂場でストレッチをしながら

午前組のスコアをチェックしたが、もうそれだけで、コンディションの難しさは想像出来た。

「その時点で60位内に、午前組の選手が14、5人くらいしかいなかったんです。これは、難しいんだと。正直、中止にならないかと思いました。コースに出たくない、と・・・」。

激しく窓ガラスを叩く強風に、一瞬恐れをなした原口を、奮い立たせたのは親友の存在だった。
昨年12月に成人男子の義務である2年間の兵役につくために、母国・韓国に帰国したツアーメンバーのドンファンと近況を報告しあったのは前日初日の夜。

軍のスポーツセンターに配属されたというドンファンは、朝5時半に起きて寄宿舎の風呂場やトイレ掃除。朝食をとったあと、テコンドーなど武術を徹底的に教え込まれているという。

近頃は、ようやくゴルフの練習もさせてもらえるようになったそうだが、それも1日たった20分だけ。
「かなり厳しい生活を送っていてつらそうに感じたけれど。逆に“鉄也さんも頑張って”と励まされた」という。

知人を介して意気投合したのは、2006年。来日した当時はまだ19歳で、「日本ツアーや日本語を勉強したい」というドンファンの世話をやくうちに、彼の人柄に惚れ込んだ。
こうと決めたら絶対に譲らない。13歳も年下だったがしっかり者で、それでいて甘え上手。
原口を“日本のアニキ”と慕ってくれ、いつしか一緒に過ごす時間が誰よりも多くなっていた。

しばしの別れは、もちろん寂しかったが「鍛え直して強くなって戻ってくる」と潔く旅立った“弟”に、ひそかに感動した。
「彼には、いつも勇気をもらっている気がする」と原口は言う。

そんなかげがえのない大親友と、前夜の電話で「夏休みに韓国で会おう」と約束したばかりだ。
「そのときに、良い報告をしたいから」。
その一心で、強風と対峙した。

スタート前に、空を見上げて「今日は76でパープレー」と決めた。前半は「しのぎまくって」すべてパー。
その目標スコアより、1打少ない75で回って優勝争いに踏みとどまった原口は「今日、3オーバーで回れたのは凄く大きい。今日のスコアを明日、明後日に生かしたい」。
アニキの活躍を、ドンファンもきっと見ている。

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