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倉本昌弘が母校にスナッグゴルフセットを寄贈

ゴルフ界に数々の金字塔を打ち立ててきた“ミスター59”が、また新たな夢の実現に乗り出した。5月12日(火)に、その第一歩を踏み出した。倉本昌弘が母校の広島市立袋町小学校に、スナッグゴルフ・スクールセットを寄贈した。

きっかけは今年2月だ。選手会の主導でスタートした、ジャパンゴルフツアーメンバーによる“ゴルフ伝道の旅”。

ゴルフの素晴らしさと夢を持つことの尊さを、各地の子供たちに語って歩くというこの取り組みに参加した倉本は、母校から平和記念公園を挟んで川向こうにある同市立本川小学校を訪れた際、カリキュラムに組み込まれていた実技講習会を通じて、スナッグゴルフがいかに子供の情操教育に役立つかを目の当たりにした。

またこのとき、講師としてお手伝い下さった日本女子プロゴルフ協会会員の、枝広(えだひろ)美子さんにも触発された。
枝広プロは、2004年から5年の歳月をかけて、東広島市内の全37小学校にスナッグゴルフ用具を導入。またその普及に努め、2006年のスナッグゴルフ対抗戦JGTOカップ全国大会では同市の三ツ城小学校が、創部わずか2年目にして優勝を飾るなど、強豪校が次々と誕生している。

この話を聞いて、黙ってはいられなかった。
「東広島には負けていられない!」と叫んだ倉本の行動は早かった。まさに自身が生まれ育った広島市での普及活動を決意すると、まずは最初の1校目として母校への寄贈にこぎつけたのだ。

この日は寄贈式のあとに実技講習会、給食を挟んで3階の音楽室で、5、6年生を対象に講演会を開いた。

テーマはずばり、「あきらめない」だ。

全日本ジュニアで優勝した高校時代。日大時代には全日本学生で、いまだ破られない4連覇という快挙を達成した。
80年には25歳のアマチュアながら、プロの試合(中四国オープン)で優勝した。
81年にプロ転向すると、その年いきなり6勝をあげて世間の度肝を抜いた。
92年にはツアー通算25勝をあげて、永久シードの仲間入りをした。

そんな華々しい栄光の陰に、いくつもの挫折があった。
しかしどんな困難も、不屈の闘志ではねのけてきた。
164センチと小柄だが、めったなことではへこたれない。鍛え抜かれた強靱な肉体を持つ“小さなポパイ”の真骨頂は、2003年だった。

ほとんど再起不能とも言われた重い心臓病を煩ったのは、その2年前。選手生命の危機にも、再び不死鳥のごとく蘇ったばかりか、アコムインターナショナルでのツアー通算29勝目は、その初日に日本新、世界タイ記録となる59ストロークをマークするという仰天のおまけつきだった。

「諦めずに努力を続けてきたからこそ、今の自分があるんです」。
この日、後輩たちにそう説いた倉本がいま、新たな野望に燃えている。

母校を皮切りにして、広島市内の約140の小学校すべてにスナッグゴルフを寄贈、普及させたい。頭脳派の学士プロは、そのための下準備もぬかりない。
すでに地元の企業数社にもかけあって、大手ドリンクメーカーとのタイアップを計画するなどしている。

もちろん、その実現は口で言うほど簡単なことではないが、これまでにも数々の不可能を可能にしてきたこの男のことだ。
たとえ何年かかろうとも、見事にやり遂げてしまうだろう。
そしてきっと、最後の1校の講義で子供たちにこう言うのだろう。
「諦めなかったから、君たちに出会えた」と。
“ポパイ”がぶち上げた壮大な計画は、いま始まったばかりだ。
  • 今回の壮大な計画には、枝広プロ(中央)の存在が大きかった・・・!!
  • 講習会と講演会の合間は子供たちと給食に舌鼓。「ホールインワンは何回しましたか」の質問に「26回」とこともなげに答えて再び称賛の嵐を浴びた・・・!!
  • 今回の講演会のテーマ「あきらめない」を、まさに地でいく地元でのスナッグゴルフの普及活動はいま始まったばかりだ。

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