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サンクフル主催者ゴルフ懇親会を開催

今日と明日ばかりは、みんなサラリーマンになった気分だ。プロゴルファーたちが、びしっとスーツのネクタイ姿で勢揃い。慣れない手つきで、名刺交換。若手はお酌の手つきもぎこちない。

大勢の恩人を前に、普段のコースではめったに見られぬ直立不動だ。

前・選手会長の意志を、現・選手会長がしっかりと受け継いで、実現された。胸一杯の感謝の気持ち。いつも心では思ってはいても、そして口で実際に、「ありがとう」と何度伝えてみても、それだけじゃあ何だか足りない気が、ずっとしていた。

「これだけ多く、長く戦う場を提供していただきながら、僕らはその恩返しをする場所がなかった」と、前・選手会長の倉本昌弘が、13年ぶり9度目の“復職”をした昨年からずっと暖めてきた思い。
「主催者のみなさんと懇親の場を持って、日頃のお礼を言ったり、意見を伺ったりする機会を持ちたい」。
しかし、計画を着々と練る一方で、「選手会長は、自分のような年寄りが長くやるものじゃない。若い力に託したい」と就任当初から、繰り返してきた57歳。「じゃあ、俺がやるよ」と、池田勇太。“マッシー”の思いをそっくりそのまま引き継いだ。史上最年少の選手会長が立ち上がった。一度「やる」と決めたら尋常ならざる行動力は、まさに疾風のごとく、就任からわずか5ヶ月あまりで開催にこぎつけた。

日頃から、男子トーナメントを支えて下さっている主催者のみなさんを選手たちが招待をし、もてなし、直々にお礼の言葉を述べるイベント。それが「サンクフル主催者懇親ゴルフ会」だ。

先週の日本プロ。特別協賛の日清食品と所属契約を結ぶホストプロは、大事な一戦でやむなく棄権をした。開幕直前に訴えた背筋痛は、今だ背中でうずくが痛みを堪えて選手会長は、このイベントに賭けている。

懇親の舞台に選んだのは、とりわけ思い入れの強い第二の故郷。宮城県にあるレインボーヒルズゴルフクラブで25日に開催するゴルフ懇親会に先駆けて、この日の24日の金曜日には仙台市内のホテルで盛大に、前夜祭を開いた。

その直前の選手ミーティングで、頭を下げた。「この懇親会を絶対に成功させたい。みなさんよろしくお願いします」。
選手会長の思いに共感した参加32人のプロたちも、少しでも主催者の皆さん方に楽しんでいただきたくて、各テーブルで心を砕いた。

最初は、どことなく硬い表情だった選手も、主催者のみなさんも、時間を追うごとに、だんだん笑顔が増えていく。翌日のゴルフ懇親会は、選手と主催者のみなさんが、1対1のペアを組んで戦う。組み合わせ抽選会が終わるころには、すっかり打ち解け、あちこちのテーブルからにぎやかな笑い声さえ漏れ聞こえるようになった。

和気藹々の光景に、胸を打たれた選手会長。「実は始まるまで胃が痛かったんです」と、打ち明けた。「今日は、盛り上がらなかったらどうしようか、と」。いつもの完璧主義を駆使して緻密なイベント計画を立てながらも、失敗したときのことを想像して、「気持ちが暗くなってきた」と池田はいう。それだけになおさら、みなさんの楽しそうな様子が嬉しかった。

前夜祭の最後には、選手会長が用意したとっておきの演出が参加者全員の胸を打った。「杜の都、仙台といえばこの人!」と、池田の“名司会”で登場したのは歌手のさとう宗幸さん。佐藤さんといえば、やっぱりこの歌。「青葉城恋歌」の、伸びるようなすがすがしい歌声が会場一杯に満たされると池田の心も充実感で一杯に満たされた。

学生時代から、お世話になってきた恩人。「宗幸さんの歌は、どれも好きだけど、中でも一番好きなのは、福祉大の校歌を歌ってくれるとき」。合宿先に訪れては、部員の前でよく歌ってくれたさとうさん。池田だけでなく、東北福祉大の卒業生や、まだ在学中の松山英樹にとっても、とりわけ胸にしみ入る歌声は、会の成功の前祝いのようにも聞こえた。

そして、いよいよ選手たちの本当の正念場は明日だ。25日土曜日こそ大事なゴルフ懇親会と、特に大一番は震災復興支援チャリティの贈呈式が控えている。昨年1年間の各トーナメントの主催者のみなさんにも十分なご理解をいただいて、獲得賞金の1%から供出した大切なお金を届ける。

そういえば、さとうさんが言っていた。「いまある多くの仮設住宅からすべての方が、出て行かれた時こそが、ふるさとの本当の再興だ」と。現状を見る限り、それはきっと、まだまだ遠い先のことになる。「そのときまで、みんなが寄り添っていかなければいけない」と、さとうさんは言った。東北を、とりわけ仙台を愛する一人として、池田もその思いをいっそう強くするこの2日間となりそうだ。

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