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〜全英への道〜ミズノオープン 2011

黄重坤(ハンジュンゴン)がツアー初優勝、初のメジャー切符も獲得

連日の猛暑にキャディのお父さん(左)もさすがにバテた?! 日頃の恩返しが出来た。
まだ10代のチャンピオンは、石川遼に次いで史上2人目(※)。いまもっとも勢いのある韓国勢からまたひとり、新星が表れた。19歳の黄(ハン)が、ファイナルQTはランク5位の資格で参戦した今季、デビューからわずか8試合目にして、ツアー初優勝をあげた。

最終日は金庚泰(キムキョンテ)と裵相文(ベサンムン)。母国の英雄2人を3打差のトップに見上げてスタートしたが、終わってみれば、2人を眼下に見下ろし頂点に。逆転Vの大きな鍵となったのは3番だった。

223ヤードのパー3は、ティショットで17度のユーティリティアイアンを握り、試合では自身初のホールインワンを達成した。美味しい1打に弾みをつけて、13番でこの日3つめのバーディを奪って金と裵(ベ)を捉え、15番でついに単独首位に立った。

1打リードのまま通算13アンダーでホールアウトした黄は、緊張した面持ちで、次の最終組のプレーを待った。2007年に韓国ツアーの賞金王、そして昨年は日本の賞金王に輝いている金がグリーン奧のエッジから12メートルのバーディトライ。

ボールがカップの縁で弾んだ瞬間、黄の心も跳ね上がった。「入ったか、と思いました。ドキドキした」。しかしボールは一瞬、カップを舐めただけで行きすぎた。そっと胸をなで下ろしながらも「まさか、信じられない」と、本人も何度も繰り返したのも無理はない。
今季は3戦目の中日クラウンズから、5試合連続の予選落ちを喫した直後のいきなりの快挙達成に、「今日は僕に最後に運が転がり込んだ」と、幾度となく繰り返す。

3位タイに終わった裵(ベ)もまた、2008年から2年連続で韓国の賞金王。そして石川遼は2009年の賞金王だ。歴代のキングもこっぱ微塵に、まして初のメジャー切符をも手に入れて、「夢のよう」と、「いま韓国で流行り」という黒縁メガネの奧で、ただただ、視力0.4の目をシロクロと見開くばかりだ。

ゴルフを始めたのは、13歳からと遅かったのは、父の炳元(ビョンウン)さんの逡巡があったから。「プロの道は厳しく険しい。この子にやっていけるかどうか」。それでも、アーニー・エルスに憧れた、という本人の意志は固かった。韓国でいま話題のゴルフアデミーに入塾し、恵まれた練習環境の中で、1日平均800球を打ち込んだ。

めきめきと腕を上げ、高校2年の2009年にプロ転向を果たすと「もっと高いレベルで経験豊かな男になりたい」と、一念発起で来日。父親をキャディに従え、わずか3ヶ月足らずで結果を出した。

ボギーなしの66のベストスコアをマークした最終日はプレッシャーなど微塵も感じさせない。ルーキーとは思えない、堂々たるプレーぶり。しかし、ひとたびコースを下りれば「趣味はカラオケ」と打ち明けて、「少女時代とKARAが好き」とハニかむ笑顔は、19歳そのもの。
思いがけず手に入れた全英切符も「とにかく夢の舞台。たくさん勉強して帰ってきたい。予選通過が目標です」。
石川と同い年の伸び盛りは屈指のリンクスコースで、きっと何かを掴んでくるはずだ。

※1973年のツアー制度施行後。10代のチャンピオンは最年少が石川遼の15歳(2007年マンシングウェアオープンKSBカップ)。2番目が、やはり石川の17歳(2008年マイナビABCチャンピオンシップ)。19歳で「〜全英への道〜 ミズノオープン」を制した黄は、史上3番目の若さでした。

  • ヒーローインタビューで、インタビュアーに促されて改めてガッツポーズを披露した黄
  • 水野明人・大会会長から受け取った全英オープンと同じ型の優勝杯「クラレットジャグ」は今年もR&Aの方々がはるばる日本まで届けてくださったもの。本場でもぜひ!
  • R&Aのロイド氏から受け取った全英オープンの選手証に、まだ見ぬリンクスへの思いも高まる
  • 大会運営に協力してくださったボランティアのみなさんは延べ400人。連日の猛暑の中、本当にありがとうございました!!

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