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ダンロップフェニックストーナメント 2012

谷原秀人が3年連続初日首位に!

この日初日は、翌16日に迎える誕生日の「前祝い」。ショットも、パットも「そこそこ良い」と、前半の2番はピンまで2メートル半につけて、バーディ先行。8番では12メートルもあった長い上りフックをねじ込んだ。9番では2メートルも難なく沈めて7番からの3連続に、ここフェニックスカントリークラブは「ティショットもグリーンも難しくて。状況に応じて球筋を変えて打たなくちゃピンに寄っていかないし、どれだけ集中してボギー、ダボを減らして行くか。考えさせられるコース。だから好き」。

本人にも相性の良さは、自覚があったがまさか、初日の首位発進は、これで3年連続だったとは。
「それは知らなかった。ハンパねえ!」。
思わず、人のお株を奪ってしまって「あ、これヒョンソンの口癖だった」。

韓国の金亨成の大好きなフレーズが、つい口をつくほど、驚いた。
「確か、去年も良かったな、とは思ったけれど。一昨年もだったっけ?」。
そんなのすっかり忘れていた。

昨年も一昨年も初日66のラウンド。
そして今年は65に、「記録更新だね」と胸を張る。
「でも、そのあとが続いてないんだよね」と、肩を落とす。
2010年にツアー通算9勝目を挙げるも、そのあと足踏みが続いている。
「何が悪いというわけでもない。なんでかな。初日良くてもどこかで打っちゃう」。

そうこうしているうちに、節目の10勝目は大学の後輩の池田勇太や、石川遼ら若手に抜かれた。
「抜かれたことは別にいいんだけれど…。いま、僕ら30代の選手の元気がないことは、自分にも自覚がある」。
現在、賞金ランク1位につける藤田寛之や、ジャンボ尾崎にも、ちくりと言われる。

「お前が頑張らないとダメじゃないか!」。
分かっちゃいるけど、「どっかでスコアを伸ばしきれない自分がいる。技術…なんでしょうかね」と思案顔になった。

2006年には自己最高の賞金ランキングは2位に。その年、片山晋呉が3年連続の王座に輝いたが「やっと僕の時代が来た」と、谷原は豪語した。
「いま若手の中で、晋呉さんを倒せるのは僕しかいない」と、まで言い切った。
「もちろん、今も賞金王やメジャーへの目標にありますけれども…」。
当時と、気持ちはちっとも変わっていないが、そのあと左肩の故障を抱えるなど、思うようにクラブが振れない時期もあり、手をこまねいている間に次々と若手の台頭にあった。

大会2日目には34歳を迎えて、本人も何とかしたいとの思いがますます募る中で、今年もまたここフェニックスカントリークラブでの好発進に、「今年は、何かあるかもしれない」とニヤリ。
ジャンボが98年の久光製薬KBCオーガスタで達成して以来となる、同一大会3年連続の首位発進にも、胸に期するものはもちろんある。

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