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中日クラウンズ 2016
3位タイ浮上。谷原秀人は「悲しんでいる暇はない」
「ドローを打ちたいのに、たまにフェードが出る」。ふいに予期せぬ“逆球”は、今年の国内開幕戦で「欲を出した」。そのツケだ。
「もっと色々よくしたい」と、クラブをとっかえひっかえした結果「今まで打ったことのないような球が出て。シャフトのしなりひとつでこれだけコントロール出来なくなるものか、と」。
すっかりスイングを壊した。国内開幕から2戦で予選落ちを喫した。「クラブ選択の大失敗だった」。反省して、カーボンからスチールシャフトに戻して出直しをはかった今週もまだ、その後遺症がふいに出る。
最後の18番がまさにそれ。右の林に打ち込んだティショット。テレビ解説でブースに座る2人にも、言い当てられた。倉本昌弘と石川遼にも指摘をされた。最終日に向けて、課題はまさにそこ。
「ここだけは修正したい」。上がってすぐに、練習場に向かった。
大風の前日2日目にはパットにも苦しみ3ホールで3パット。「気が狂いそうになった」と、心も折れそうになった。
「くよくよしてはいられない」と、自分にムチ打った。
昨年、胃がんの宣告を受けた父・直人さんが、急逝したのは今年2月だ。
姉2人の末っ子長男。「姉たちには厳しかったのに、僕はぶたれたこともない。僕には甘々だった」。ゴルフの手ほどきをしてくれたのも、父だった。このオフは合宿も日数を切り上げて、看病を続けた。
「練習不足も続いたが、それを言い訳には出来ない」。
享年67歳。大黒柱の早すぎる死に、「一番つらいのは、母親」。
父が遺した料理店。母の瑞代さんは「かわりに店もやって、病院にもずっと付き添って、それでも一切泣かなかった。ハンパ無い。なんであんなに強いのか」。
「悲しんでいる暇はないよ」と、瑞代さんは言ったそうだ。そんな母の気丈ぶりも「兄弟の中で、僕が一番そこを引き継いでいると思う」。母に負けじと、最終日に備えてホールアウト後も谷原は黙々と球を打った。
父が亡くなった直後に出場した3月のホスト大会「BMW ISPS HANDAニュージーランドオープン」は、最終日を首位で出ながら、1打差の逆転負けを喫した。「勝ちたかった」。
まだ、父に何も返せていない。
「明日は、いいゴルフをして天国で見てもらえればいいな」。
息子の優勝争いにも、「そんな暇ない」と素っ気ない母。連休中も、店を切り盛りする肝っ玉母さんにとっても一番に嬉しい便りを届けたい。