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新米パパ・浅地洋佑、パラ陸上選手に発奮(3月18日更新)
今オフは先月末のニュージーランドから、マレーシアでの連戦を経て、海外試合でさらに調整を重ねていくつもりだったが、先週の亜「ロイヤルカップ(タイ)」も同様に延期になった。
プロ8年目の昨年5月、日亜共同の「アジアパシフィック ダイヤモンドカップ」でツアー初優勝を飾ったことで、活躍の場を広げただけに、「仕方のないことなんですけど…このような状況になってしまったことは、とても残念」。
今は、地元の東京を拠点にラウンドに、トレーニングにと調整を積みながら、来月4月の開幕を待ちのぞむ。
昨年9月の「ANAオープン」では、史上最多の5人によるプレーオフを制してさっそく2勝目を挙げたが「続けて勝っていかないと、それも”まぐれ”と評価されてしまう。今年もまずは1勝。昨年以上の成績をと思っています」。
昨季の賞金ランク9位を超える結果を見据えて、2020年もさらなる研鑽につとめる。
先月2月は沖縄で、デビュー時から師事する仲田健トレーナー主催の合同合宿に参加。仲田さんが指導するレーシングドライバーの脇阪寿一さんほか、各種トップアスリートが一同に介した。
「いろんなスポーツの一流選手が集まって、意識の高さとか色々な話も聞けた」と、濃密な時間を過ごした。
中でもパラ陸上の100メートル走でアジア記録を持ち、東京での五輪初出場を目指す井谷俊介さんは、「僕なんかより、もっときついトレーニングを平然とやっていた」。
浅地より2歳下の井谷さんは、大学2年時のバイク事故で右足のひざ下を無くされたが「すごく明るくて、いい子で。片足がないことを自分でネタにして笑わせてくれたり、競技への思いもすごく熱くて」。
前向きさと情熱に打たれて、浅地も五輪への思いがいっそう強くなったという。
現在の浅地の世界ランキングは、選考基準にはまだ程遠い250位。「東京は無理でも、次のパリを目指したい」。新たな目標設定と同時に、「井谷くんが走る姿を見たい」とまずはいちファンの熱視線で今年の無事の開催を、ハラハラする思いで見守る。
昨年末は待望の第一子が誕生。出産にも付き添うことで、芽生えた父親の自覚は新型ウィルスの感染拡大で、さらに増した。
「これまでは自分のことだけでもよかったが、今は妻や子どもにもうつしちゃいけない。まず自分がかかるわけにはいかない」と家族のためにも、体調や衛生管理によりつとめるようになった。
オフも練習や調整でどうしても出入りが多くなり、家を空けがちな今は、奥さまと共に長男の奏汰(そうた)くんはご実家の名古屋に帰省中。
「なかなか会えないのは寂しいですが、今この時期に家で2人きりにさせておくよりは、何倍も安心」。その分、会えばお風呂やオムツに添い寝と、不器用ながらもかいがいしく手を焼く。
ちなみに、奏汰(そうた)くんの生まれ日は12月22日。
奇しくも16年の賞金王でツアー21勝、前回のリオ大会では日本代表をつとめた池田勇太と同日である。
「うちの子も勇太先輩みたいに、立派な人になりますように…」。
そういえば読み名も一字違いだが?
「さすがに、そこまで意識したわけでは…」と、しどろもどろで笑い。
奏汰くんが物心つくころには尊敬する先輩にも負けない活躍で、我こそが息子のよき手本となっていたいものだ。