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僕らのツアー選手権 / 細川和彦の選手権

JGTO主催の「日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills」は、5年シードのツアープレーヤーNO.1決定戦。選手や関係者が普段、大会を話題にする際には短く「ツアー選手権」とか「選手権」と呼ぶ。その開催週にみんなで改めて、さまざまな角度から「僕らの選手権」を振り返ってみる今週の1週間。

今年、21回目を迎えるはずだったJGTO主催の”日本タイトル”には、選手たちの汗と涙の跡がある。
第4回の05年大会で、ドラマを演じたのが当時、34歳の細川和彦だった。

プロ2年目の95年の初優勝から通算7勝を重ねたが、激しい下痢と腹痛を繰り返して、緊急入院したのは01年秋。
精密検査の末に、判明したのは「潰瘍性大腸炎」。
原因不明の難病だった。

「俺の人生は終わった」と、絶望した。
投薬治療で当面の危機は乗り越えても、常に再発の不安と隣り合わせの日々が続いた。

効くといわれた治療法はなんでも試した。少林寺拳法やボクササイズなど、ユニークなトレーニングを積極的に取り入れ体力維持につとめた。
神仏にも頼った。
懸命の闘病生活を、支えてくれたのが家族の存在だった。

今野康晴ともつれた最終日の死闘が、勝てなかった4年間と重なった。
プレーオフ2ホールを制して、駆け寄った息子のことは笑顔で抱きとめることができたが直後のヒーローインタビューで、そっと寄り添う妻の顔を見た途端に号泣。

肩を寄せ合い、泣き続ける家族のそばで、黙ってたたずむアナウンサー。感泣の時を、NHKの中継カメラが、静かにとらえていた。

第4回大会で、感動のドラマを演じた細川和彦にとって「ツアー選手権とは?」

ツアーで活躍するからには、一度は名を残したい試合。特に僕は生まれ故郷の茨城県が現在もトーナメント会場なので、そのプレッシャーもありますが、活躍したいという思い入れは強い」。

今年50歳を迎える今は、JGTOのコースセッティングアドバイザーとして、裏方をつとめるかたわら、2度目に名を成すチャンスを虎視眈々と伺う。
「優勝したら、5年シードや海外のトーナメントにも挑戦できる。魅力ある大会が今年、開催できないのは大変残念に思います」。
優勝時の感激が大きいほどに、試合のない開催週のギャップも大きい。
  • 選手権でまたあの感動を味わいたい

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