この日は石川や堀川と、インの第1組から出てボギーはスタートの10番だけ。
後半3番では、271ヤードの2打目をスプーンで8メートルに乗せて、イーグルも奪った。
この日7つ目のバーディは、最後9番だった。
予選ラウンドまでは、パー5で競技していたのを決勝からパー4と、JGTOの主管競技としては初となる期間中のパー立て変更に踏み切ったホールだったが、「ヨーロッパではよくありましたので」と、主催者の挑戦には、18年19年の主戦場での経験で対抗。
187ヤードから8アイアンで手前6メートルに乗せて最後のチャンスもしっかり獲った。
本大会は、16回出てトップ10が4度あるかわりに予選落ちも8回と多いのは、左に曲がるホールがほとんどで「フェードヒッターの僕には打ちづらい」と、苦手意識があるから。
前日2日目も、13番のトリプルボギーで一時、決勝進出は絶望的だった。
でも、「去年も最後18番のOBで落ちているので今年はリベンジしたい」としぶとく粘って17番でチップイン。
さらに18番のイーグルでカットラインにもぐりこむと、土曜日のムービングデーに一気にリーダーボードに載ってきた。
左ひざの半月板断裂が分かったのは今年1月。一時期は歩くことはおろか、寝返りを打つのも困難で、「お先真っ暗状態」。
1か月以上もクラブを置いた。
3月末の開幕戦にも間に合わず、「やっと練習できるし振れるようになってきた」という復調の兆しも、ようやく6月の声を聞いてから。
手術か、温存かの二択を迫られたが、いずれにせよ「完治はない」と、断言された。
4月の空き週に自身の血小板を、また6月にはお腹の脂肪を1センチほど切り取り培養した幹細胞を患部に注入。
「それがわりと早めに効いてくれた」と、効果を実感できたことは幸いだった。
2017年に史上初の選手会長=賞金王の偉業を達成。
ツアー通算7勝を誇るが、40代に突入した頃から賞金シードの確保に手間取るシーズンが増えている。
腰痛にも苦しみ、コロナ禍中に中尺パターを採用。
今季から「球の行方が見えにくくなってきた」と、芝の上でも目立つ黄色のボールを使用するなど、年齢なりの苦労に懸命にあらがう。
首位とは5打差あるが「あきらめずに最後まで頑張ります」。
7年ぶりの復活V8も夢ではない。