大学の後輩が、逃げ切りVを演じた日。
「63」をマークして、ベストスコアで共に表彰式に参列した金谷拓実(かなや・たくみ)は、「学生の時から蓮はメンタルが強かった」と、評した。
「試合になるといつもこわい顔してね…」と、金谷が笑いながら明かしたとおり、この日も7メートルを沈める連続バーディでリードを奪った15番や、3メートルのパーパットを残した16番でもピクリとも表情を変えなかった。
学生時代から、メンタルトレーニングに取り組む。
「感情を出してやってみたこともあります。でも、感情を出したとき、そこに左右されちゃう自分がいたので。感情をころしてやったほうが自分は良い」と、たどり着いた境地だ。
「泣いたってなにも変わらない」が信条だが、日本タイトルでの2勝目を狙ってプレーした6月の「BMW日本ゴルフツアー選手権森ビルカップ」で最後18番のパーパットを外して岩田と石川とのプレーオフに残れなかったときはつらかった。
顔には出さなかったが、後で何度も夢に見るほど悔しくて「思い出したくもない。あれが尾を引いて、それが引き金かはわからないけど、思い当たるふしはある」と体調を崩して、左わき腹に帯状疱疹を発症。
医師には「疲れとストレス」と言われた。
痛みでクラブも持てず、7月の北海道「長嶋茂雄INVITATIONALセガサミーカップ」も欠場した。
休養に専念し、約1か月のブランクを経て復帰したヨコハマは、連日の猛暑だ。
「バックナインで体力がないとプレーどころではない。そこで勝負できる体力を残すプランを」と練習量を調整し、体調管理に気を配り、もっとも体感気温が上がった最終日にこそ、尻上がりにパフォーマンスを発揮。
「3日間通して感触はよかったので。無理して練習に行く必要もなかった」という好調のショットと、金谷も「彼の武器」と評したショートゲームで他を圧倒。
「今思えばしっかり休む期間があってよかった」と、逆境も力に変えられた。
治療に専念していた夏休みの間は、大学先輩の松山英樹の銅メダルにも心を動かされた。
「刺激…というよりとにかく凄い」と心に焼き付け、「4年後に自分がそこにいられればすごくいい。それまでに自分は何ができるか。考えながら頑張っていければな、と思います」。
5月、県勢初の勝者となった名古屋の「中日クラウンズ」に続く通算2勝目を追いかけて、この日も地元紙の「岩手日報」さんが、ヨコハマに駆けつけてくださった。
プロ転向後も花巻市に拠点を置き、試合が済めば必ず戻り、地元ファンの熱い声援を背中に飛び回る。
今季の2勝目で、賞金ランキングは3位に浮上した。
「さらに3勝、4勝を目指して頑張っていきたいです」。
岩手から世界へ。蓮がますます咲き誇る。