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NST新潟オープンゴルフ選手権競技 2001
「勝つときってこんなもの」
その瞬間は、思いがけない形で訪れた。
通算24アンダーでやってきた最終ホール。
ラフからの残り166ヤードの第2打は、「グリーン手前には、つけたくない」と警戒しすぎて、大きくグリーンオーバーだ。
「ヘタすりゃダボかも」と覚悟した場面、ピンまで10ヤードのアプローチは、くだり傾斜をスー…と滑り下りてゆき、ど真ん中からカップイン。
まさかのチップインバーディで優勝が決まり、一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた桧垣は、それから、思い出したように両手を上げた。
照れ笑い浮かべ、首をかしげつつボールを拾ったが、ウィニングボールはお預けだ。まだ、同組のレイコック、金城のプレーが残っていた。
「とてもよい感触でアプローチが打てて、“これでパーで上がれるなあ”とは思ったけど…。自分でも信じられない! 勝つときって、こんなものなんですね」
2人のフィニッシュを待って、改めて、ボールを観客席に投げ込むと、大きな瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「ここまで、遠回りをしましたから…」
3年前の、フォレストGCでのこの大会。スコアを伸ばして、V争いにのし上がってきた桧垣に、“事件”が起きたのは、3日目の最終ホールだ。
第2打の前に素振りをしたとき、後方に垂れ下がっていた木の枝にクラブが当たって折れてしまい、これが、違反行為に該当した。
ゴルフ規則の13条『球のライや、意図するスィングの区域の改善』で2打のペナルティ。Vチャンスをフイにした。
以来、会場に訪れるたび、「あの事件を思い出した」と振り返る。
「あれがなかったら、勝てていたかもしれない…あのあと、何度もそう思いましたね」
この日の10番でも、ティショットを左に曲げたとき、第2打で、クラブが木に当たりそうになった。
「今度は絶対に、折ったらアカン」
注意深くピンチを切り抜け、次の11番では右奥2メートルのバーディを奪い、「これで、なんとか行けるんやないかな・・・」ほんの少し、勝利を予感できる余裕ができたのだった。
3年前の苦い思い出は、初優勝という最高の形で挽回できた。
「あの事件と、同じ大会で勝てるなんてなんだか不思議な気持ち」と目を丸くした桧垣は、劇的クライマックスにも飽きたらず、観衆の前でこう宣言した。
「今度は、兄・繁正とのV争いで、ファンのみなさんを沸かせてみたい」
桧垣兄弟の今後に、注目だ。
写真下 = なかなか、結果が残せず、一足早くシード選手として活躍を続ける“兄・桧垣繁正の弟”という形容詞で呼ばれ続けた数年間。これからは、“桧垣豪”として兄弟でツアーを盛り上げていくつもりだが、「尾崎兄弟に追いつくには、まだまだですよね(笑)」と豪。夢は膨らむ(撮影:6月のミズノオープンにて、右が兄・繁正、左が豪)