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JCBクラシック仙台 2001
「あのときのゴルフとは、9割以上も違う」
93年のヨネックス広島オープンが、ツアー初優勝。
だが、2勝目を決めた18番グリーンで、小達は言った。
「僕にとっては、今回が、初優勝みたいなものなんです」
8年前とは違う。
生まれ変わった『小達敏昭』が勝利を手にした。
2年前に再会した日大の後輩、内藤雄士コーチが小達を変えた。
初優勝から、2年後の95年にはシード落ち。
97年にシード奪回に成功するも、98年はランキング61位と低迷した。
「アプローチさえちっとも当たらなくて・・・当時は、僕のゴルフはもう限界だ、と思いましたね」
そんな小達に、救いの手を差し伸べたのが、内藤コーチだった。
まずは、アプローチイップスの克服から始まったコーチの指導は、ジュニア時代からのスィングが、根底から覆されるほどの大きな変化だったが、「変われないままでいるなら、死んだほうがまし」とまで覚悟を決めていた小達にとっては、何のためらいもなく、むしろ、それは楽しい冒険だった。
「内藤君とのレッスンは、おおまかに言えば、ストレートボールを打つ、ということでした。内藤君の言うとおりにしたら、新しく変わっていける・・・そう思ったら、レッスンが、楽しくて、たまりませんでした。
アドレス、スタンス、グリップ・・・あのときの僕と今とでは、すべてが違います。変化は9割以上です。・・・唯一、変わってないのは、自分の内面だけかな(笑)」
それほどのビッグチェンジにもかかわらず、たった2年半で結果を出せたことについて小達は、「早すぎるくらい。すべて内藤君のおかげです」と優勝インタビューでもてらいなく、恩人への感謝の気持ちを口にした。
ホールアウトするやすぐに、この日、18ホールついて見守ってくれた内藤さん(=写真左端)に歩みより、「ほんとうにありがとう」と言って、固い握手を交わした。
★ 内藤コーチの話
「今週、実は、小達さんとのレッスンは2週間ぶりでした。
というのも僕は、今季から契約をした丸山選手のスィングチェックのため、先週までアメリカにいたからです。
渡米前、小達さんは、『向こうで出来るだけ、いろんな情報を仕入れて、たくさんの選手のスィングも、ビデオに撮って帰ってきてね』と言って、送り出してくれました。
帰ってきたらすぐ、僕は、向こうで見たこと、学んだことを、小達さんとたくさん話し合いました。
2週間見ない間にも、小達さんのスィングはそれほど悪い状態にはなっておらず、これまでより少しフラット目に振ることと、パターに関しては、インパクトで手が少し前に出ているので、構えた元の位置に戻すことを心がけるよう、アドバイスをしました。
そしたら、いきなり優勝!!
コーチとしてこんなに嬉しいことはありません。
これからも、小達さんともっと上を目指して頑張っていきたいですね」