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ダイヤモンドカップトーナメント 2002
「7年が、8年に伸びちゃうのかな…」
この日、中嶋の中には、2人の“トミー”が住んでいた。
「目の前の1打に集中して、頑張れ!」
と自らを鼓舞する強気なトミーと、
「無理だよ、やっぱりまた優勝には届かない」
と、弱音を吐くトミーだ。
542ヤード、チャンスホールの1番パー5。
2オンに成功しながら、ピンまで24メートルのファーストパットを5メートル以上もショートして、3パットのパーに終わった。
4番では、わずか1メートルのパーパットを、決められなかった。
弱気なトミーが、顔を出す。
「勝てなかった7年、さらに8年に伸びちゃうのかな…」
すると、すかさず、強気なトミーがこうささやいた。
「つまらないことは忘れよう。勝てるときは勝てるし、勝てないときは勝てない、と考えるんだ」
しばらく、強気なトミーのまま、ホールを進んだ。
10番、11番でバーディチャンス。
特に11番は、残り138ヤードの第2打を、ピッチングウェッジで右6メートル。「3カップくらい切れるフックライン、ここで食いつけたのが、大きかった」
これをきっかけに、13、14番でも連続バーディを奪った。
通算19アンダー、単独トップだ。
だが、喜ぶのはまだ早かった。
1打差で、宮瀬博文が、追いかけてきていた。
年間に何勝も挙げた80年代の中嶋ならば気にもとめず、強気のトミーのまま、振り切ることができたろう。
“7年間”のブランクが、そうはさせなかった。
再び、2人のトミーの、せめぎ合いが始まった。
(やっぱり、負けちゃうのかな?)
(そんなこと考えちゃだめだ、1打1打、だよ)
17番パー5、奥のバンカーからの第3打はピンまで1メートル。宮瀬を突き放す絶好のチャンス。
(勝てるかな)
(このバーディが取れたらな)
(そんなことは、分かってる!!)
慎重に読んで打ったボールは、わずかにカップ左を行き過ぎた。
(ほらみろ!!おまえがプレッシャーをかけるから…)
「上がりホールは、非常にどろどろした人間模様。最後まで、そんな調子だったんだ(苦笑)」(中嶋)
2位以下に2打差つけて迎えた18番、たった2メートルのパーパットは、「非常に、遠い遠い距離に、感じられた」という。
「どうやって、2パットで収めよう…」震えながらも、どうにか手を動かして、必死で打ったウィニングパット。それは、勝てなかった7年間を象徴していた。
「今日は、よく勝てたものだと思う。長い長い7年間。諦めず、一生懸命に頑張ってきた自分を、誉めてやりたい…」
もがき苦しみながらもぎ取った、ツアー46勝目。
もっとも、「いまオレは、47歳のルーキー」と言ってはばからない中嶋にとっては、これが、記念すべき“ツアー1勝目”となる。