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アコムインターナショナル 2003
今週、倉本昌弘が『チーム・倉本』の面々と取り決めた暗号
数々のアマチュアタイトルをひっさげてデビューした81年、はじめの3ヶ月で6勝をあ げ賞金ランクは2 位。その後も常にトップクラスを走りつづけたゴルフ人生に、翳りが見え始めたの は、90年の後半だ。
パーシモンで育ってきた倉本は、道具の進化に振り回されて自分のゴルフを見失っ た。
全盛期は、ほとんど素振りもせずに構えたらすぐ打つ。「その間、3秒」とまで言わ れたスピード感の ある切れ味鋭いショットで、勝ち星を重ねたものだ。
しかし、40歳を越えたころからそんなスウィングに肉体が対応しきれなくなり、つま らないミスを重ね るようになった。
打開策も見当たらないまま時は過ぎ、ついに99年の日本プロでは、14番ホールで8発 OBという失態もお かしている。
最初、ドライバーから始まったショットのイップスは、安全策でティショットにス プーンを握ったとき でも顔を覗かせるようになり、恐くてクラブが振れなくなっていた。
昨年は賞金ランク102位で、とうとうツアー人生4度目のシード落ちの屈辱を味わっ た。今年はツアー通 算25勝以上の者に与えられる永久シード権による「不本意な」ツアー参戦。
それほどのどん底から再び栄光を掴み取ることができたのは、「チーム・倉本」の存 在だった。
日大時代の2年後輩で、20数年もの付き合いになるマネージャーの小池泰輔さんをは じめ、トレーニン グコーチの歌津理志さん、スウィングコーチの森幸彦さんほかたくさんの恩人たち。 「私が私自身を信 じられない、という状況の中で、彼らだけはいつでも私の復活を信じてくれていたん です・・・」優勝イ ンタビューでしみじみと語った。倉本はこのオフ、「チーム・倉本」の面々と改めてゴルフとメンタル面を見直す取り 組みをしている。 自分のスウィングと心とじっくりと向き合い、「昔の良い感覚を取り戻す」作業だ。 その一環として今 週は、いくつかの「暗号」を決め、大事な局面ではキャディの福田央(ひさし)さん と必ずその言葉を 唱えあってからショットするように心がけた。
その暗号が何かは、「秘密」と笑って詳しくは語らなかったが、今週は毎日、コーチ とその言葉をかけ あって練習場で球を打つ倉本の姿があった。その秘密の「暗号」が、8年ぶりの栄冠 へと倉本を導いた ことは間違いない。