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三菱ダイヤモンドカップゴルフ 2007

ここ大洗での2004年のチャンピオン平塚哲二が2位タイ

2週前の日本プロで風邪を引いた。病院で、点滴を受けたにもかかわらず、39°の高熱は下がらなかったが、「熱なんかで休んではいられない」。めったなことがない限り、絶対に試合は休まない。それが平塚の身上だ。

体調不良も故障もおして、全試合出場を果たしたのは2003年。その最終戦の日本ゴルフシリーズJTカップで、いよいよツアー初優勝をあげた。

やはりここ、大洗ゴルフ倶楽部で行われた2004年の今大会は、その3週前にラウンド中に転倒し、左胸を薄利骨折。左ひざはじん帯断裂の損傷を追いながら2勝目をあげている。

しかしさすがに、熱も40°を超えると「死ぬかもしれない」。念のため体温計を携行して途中、計りながらのプレー。無事“完走”したものの、「体も、ゴルフもむちゃくちゃになった」。
あれから2週間が過ぎた今も違和感あるもののやはり、一度ここで勝ったイメージが体の奥に残っているのだろう。

この日初日は1番、15番で2度のチップインバーディ。5番で、長いチャンスを入れた。ティショットが本調子でない分、小技でしのいだ。
イーブンパーは、2位タイにつけた。

父・央(ひろし)さんが亡くなったのは2005年4月。折りしも、日本VSアジアの対抗戦「ダイナスティカップ」と、葬儀の日程が重なったが、やっぱり平塚は休まなかった。
“日本代表”の責任を果たすため、他のメンバーより2日遅れで会場の中国に駆けつけた。

央さんの手ほどきでゴルフを始めたのは10歳のとき。少しでもさぼると“愛の鉄拳”が飛んできた。
世界を飛び回るプロゴルファーになってほしい、というのが央さんの夢だった。
自分のせいで、息子が日本代表という責任を放棄することこそ、央さんは許さなかっただろう。
「父が見ていると思って頑張りますよ」と、あのとき平塚は静かに笑ったものだ。

今週はタフなセッティングもものともせず、“鉄の男”が今大会2勝目、ツアー通算4勝目をねらう。

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