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ファイナルQTランク6位2年ぶりのツアー復帰・白潟英純
「この3ヶ月間は、針のむしろ状態でした・・・」。
2005年のファイナルQTは、度重なる天候不順で当初の予定どおり競技が終了できなかった。
このため、ツアーの出場優先順位はすでに終わっていた予選の第4ラウンドまでの成績で決定するのか、後日、競技をやり直すのか。
それさえもなかなか決まらず、大幅な“延期”を余儀なくしていた。
方針が決定したのは年を越えて、1月も半ばを過ぎたころだった。
それまでの間、白潟は「“ここで試合が終わってくれたら”という気持ちと“最後までやってほしい”という気持ち。2つの思いで揺れていた」と、振り返る。
白潟は、予選の第3ラウンドで76を打っていた。
ランキングは、だいたい40位前後まで落ちたところで競技が止まってしまった。
このままの順位でランキングが決定すれば、来季のツアーにそこそこ出られる。
しかし、今季前半戦でほぼフル参戦するには微妙な位置でもあった。
残りの決勝ラウンドが続行されれば、盛り返すチャンスもある。
「・・・でも、決勝ラウンドをしたばっかりに今の順位よりさらに落ちてしまうのもイヤ、という気持ちもあったし」。
両方の気持ちで揺れ動いてしまう心をグっとこらえ、ひたすら練習に打ち込んだこの3ヶ月間だった。
それだけに、約3ヶ月後に競技が続行された最終日の最終ラウンドで68をマークして、6位タイに浮上できたことは嬉しい。
2000年のNST新潟オープンでツアー初優勝をあげながら、2002年には賞金ランキングによるシード落ち。
特に昨年は、ファイナルQTで予選敗退し、出場権さえ得られなかった。
「若くて調子が良いときにたまたま勝てたけれど。それが続けられなかったのは技術不足だったということ。今年はとにかく試合に出て、出られなかった2年分を稼ぐ。・・・そんな気持ちでやりたい」。
どん底を味わいながら、再び這い上がった逞しさが言葉の端々に滲み出ていた。