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サン・クロレラ クラシック 2007
菊池純「一生忘れられない優勝になりました」
17番パー3で2メートルのチャンスにつけてもなお、手の震えは増すばかり。
誰かに言わずにいられなかった。
ワラにもすがる思いで同組の谷口徹を呼び止めた。
「谷口さん、俺めちゃくちゃ痺れてきちゃったんですけど」。
「ああ、そうなん?」。
たった一言で済まされて、気持ちの行き場を失ったほどだ。
しかし、そんな動揺はみじんも見せず、この日最大のピンチを乗り切った。鈴木亨とのプレーオフ1ホール目。
ティショットを左に曲げて、林に阻まれた第2打は逆目のラフだ。
北海道特有の洋芝は草の抵抗が強く、非力な選手にはロングアイアンでの脱出は不可能に近い。
ショットの正確性には自信があるが、飛ばし屋ではない。
この週、ツアー史上最長の7535ヤードを前に4番アイアンを抜いて、変わりに入れたのは9番ウッド。
究極の場面で役立った。
「失敗しても死にはしない」と大胆にフェースを開き、わずかな隙間を狙ってアドレスを取った。
以前、兄貴分の立山光広がアイアンで編み出した深いラフからの脱出法の“ウッド版”として、自分なりに応用したものだった。
果たして、振り抜いた渾身の1打は何枚かの木の葉をかすめ、一度はグリーンをとらえた。わずかにこぼれたが、奥の下り傾斜を転がり落ちる寸前の、右カラーで止まった。
パーでしのぎ、ついに3ホールの激闘を制した。
95年にプロ入りを果たし、2002年に初シード入り。以来、幾度がチャンスを迎えながら「気合が入りすぎて」自滅してきた。
そのたびに、生涯2位どまりでプロ人生を終える選手は星の数だと言い聞かせながら、内心では「まぐれでもいい。やはり一度は勝ってみたい」。
それでも初優勝が、この舞台とは夢にも思わなかった。
「距離は長いけど、飛ばし屋だけが通用するわけでもない」。落としどころを計算し尽くした緻密なプレー。「コースマネジメントが何より問われる」。それがここ、小樽カントリー倶楽部だ。
初日は雷雨、3日目には台風。4日間ともついに青空は見えず、最後までタフな条件。
「とにかく耐えよう」ということしか頭になかった。
「しのいでしのいで、なんとか上位にしがみつく」。
ただその一心で戦って、気がついたら頂点にいた。
「この僕が、まさかこの小樽で勝つなんて。一生、忘れられない優勝になりました!」。
声を震わせ菊池は泣いた。