Tournament article
中日クラウンズ 2010
もう脱帽するしかない?! 他の選手たちも58に唖然・・・・・・
「君はいったい、どこのコースをまわってきたんだい?!」。
すっとんきょうな声でつい、そう言いたくなるのも無理はない。
ここは、難攻不落の「名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース」だ。
百戦錬磨のベテランさえ音を上げる舞台で、1日12アンダーという超・ハイスコアは、にわかに信じられるものではない。
照れ笑いでその右手を握り返した石川に、シーハンはますます疑いの目を向けた。
わざと、コース名を言い間違えて言い募る。
「遼だけ“和合カントリークラブ”とやらでプレーしてきたんじゃない?!」。
シーハンのみならず、他の多くの選手たちもまったく同じ気持ちだ。
同じく、2位タイで終わった藤田寛之もただただ唖然呆然。
1日12アンダーはもちろん、優勝スコアの通算13アンダーも、藤田には想定外だった。
「僕の中では6〜9(アンダー)の間でした。その中にいれば優勝争いには引っかかる。精一杯やって、スコアがそれ以上になったら諦めよう、と」。
ここ和合でのセオリーは、我慢に我慢を重ね、まずパーを重ねるゴルフ。
これまで過去50回の歴史では、それが通例だと思っていた。
もう、すぐにでも手の届くところまで行きながら、そのチャンスに嫌われ続けてきた藤田にとっては、なおさらだ。
「誰もが和合の難しさを感じながらの戦いだった」。
それだけに、藤田がスタートするころにはすでに、石川は首位に2打差まで迫っていたが、まさか後半もその勢いが続くとは思わない。
和合のアーメンコーナーともいえる「13番以降にスコアを伸ばすことは難しい」。
そんなおおかたの予測は完全に打ち砕かれた。
大会史上最少スコアとなる前半28の勢いは、後半もとどまることを知らなかった。
「我々のコース攻略とは全く違う・・・・・・。我々世代の常識は通用しない。まさに“遼スペシャル”。次世代型のゴルファーなんだと、改めて感じた」と、脱帽した。
日本ツアーはおろか、世界6大ツアーを見渡しても最小スコアの58をマークしての逆転Vにこうまでされれば、逆に同じプロゴルファーとして、ワクワクしてくる。
またしても和合でのタイトルは逃したが、さすがの40歳も悔しいというよりも、胸がすく思い。
「なんだか僕も嬉しい・・・。遼くんは、いつもほんとうにやってくれますね。おめでとう!」。藤田も最後は、心からの祝福の言葉で締めた。