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マイナビABCチャンピオンシップゴルフトーナメント 2011
河野晃一郎が満面笑顔のツアー初V!!
目下、最強の男を倒せば嬉しさ倍増。本戦最後のイーグル獲りで、韓国の裵相文(ベサンムン)に追いついたのは、通算10勝の藤田でもなく、5勝の飛ばし屋、小田孔でもなかった。ツアーはやっと09年にデビューという遅咲きが、右から2メートルの軽いスライスを決め込んだ。
土壇場で持ち込んだプレーオフ。その相手は「賞金ランク1位だし、飛距離はあるし」。ましてサドンデスの18番は「ロングホールだし」。どう考えても分が悪い。「体や技で負けても絶対に気持ちで負けない。一生一度のチャンスかもしれない。絶対に諦めない!」。
その1ホール目に7メートルのイーグルチャンスを逸しても、2ホール目はラフからのアプローチでまさかの「チャックり」にも、大きな口で笑い続けた。ミスショットのイライラも、プレッシャーも、どんな深刻な場面でも「笑っていればテンション上がる。明るくしていれば結果も良くなる」。経験から学んだ独自のゴルフ哲学だ。
その間、2度もカップ位置が切り替えられた。史上18年ぶりとなる長い緊迫の約2時間(※)も笑い続けた。「こいつを倒せたら、自信になるだろう」と思えば、また自然と笑いも込み上げた。
裵(ベ)が鬼の形相で咆えればなおさら、大きな笑顔で対抗した。プレーオフが長引くほどに、雨濡れそぼつ大ギャラリーも、河野につられてみんな笑顔に。
「寒い中で見守って下さるみなさんに、せめて楽しんで欲しかった」。熱い思いは伝わった。「ガンバレ!」「負けるな!」と、大歓声にも後押しされた。「ここで負けたら、一生自分に残るだろう」と、思うにつけても粘っこく、ついに6ホール目にして裵(ベ)を根負けさせた。
最後は互いに3打目勝負。奥のカラーにこぼした裵(ベ)を横目に、手前3メートルのバーディトライをウィニングパットにして今度こそ惜しみなく、大きな笑顔を振りまいた。
所属先のエコー電子は、応援に駆けつけた父親の晃さんが経営する会社だ。一人息子の御曹司は、5コースで計15回のクラチャンに輝く父親に、ゴルフをたっぷりと教え込まれて03年から旅に出た。
同期には宮里優作や岩田寛。「あいつらに追いつくには日本で生半可ではダメだと」。東洋大卒業後に、思い切って修業に出たのは米サンディエゴ。とことん資金を切り詰めて、車の移動は計35万キロ。ハングリー生活の中で、飛距離がない分、洋芝で徹底的に小技を磨いた。初シード入りを決めた昨年は、周囲も一目置く1ラウンドあたりのパット数1位とサンドセーブ率1位に「やってきたことは、間違いじゃなかった」と確信出来た。
プロ9年目にしてこれがツアー初Vも、プレーオフはこれで4戦負けなしだ。「勝っても賞金は1回たった2000ドル」とはいえサドンデスは、4年間を過ごしたアメリカのミニツアー4勝でも経験済み。「外人選手とやるときの流れは、頭の中にちゃんとある」。本場仕込みのしつこいゴルフで裵(ベ)を追い込んだ。「英語が話せない分、笑っていれば入りやすいしファンに好かれる」。本場で心得た処世術が、大事な場面でこそ生きた。
日本で初の賞金王獲りを狙う裵(ベ)の出鼻もくじいた。「いま、日本人で届くのは遼くんしかいない」。この1勝で、賞金レースが面白くなった。「僕もツアーを少しでも盛り上げていきたい」と、言ったからには韓国勢に、2年連続であっさりと持って行かれるのはやっぱり悔しい。「同じ日本人として、頑張って欲しいなという気持ちもこめて。僕が勝つことで、遼くんを少しでも後押し出来れば」。今季9人目の初優勝者が石川遼に、笑顔のパワー注入だ。
※6ホールに及ぶプレーオフは、93年に水巻善典が飯合肇、渡辺司と争った93年のJCBクラシック仙台以来。今回は14時10分から16時03分まで、決着に約2時間を要しました。雨降りしきる悪天候にもかかわらず、最後まで会場に残ってご観戦くださったみなさま、ほんとうに長い1日をつとめてくださったボランティアのみなさまに、厚く御礼申し上げます。