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ゴルフ日本シリーズJTカップ 2011
初出場の河野晃一郎は「最後の締めに良いところを見せたい」
河野もその波に乗り、ニューフェイスに名を連ねた一人だ。
しかも、賞金王の裵相文(ベサンムン)を6ホールのプレーオフで倒しての大金星だったから、反響の大きさはなおさらだった。
本人も、それをつくづくと実感したのは2週前。ダンロップフェニックスは宮崎県の田野町で、知人が保育園を運営しており、大会前に挨拶もかねて立ち寄った。
「本当に、ちょっと顔を出して失礼するつもりだったのですが」。
先生をはじめ園児たちに予想外の歓待を受けて、驚いたものだ。
しかも、ささやかな「お祝いの会」まで開いてもらって、感動しきり。
「勝った直後はピンと来なかったけど、そこでやっと勝てたんだって、実感出来た」。
ようやくツアーチャンピオンとしての自覚も芽生えた。
「また遊びに来るね」と子供たちと約束して帰ってきた。
そのほか、マイナビABCチャンピオンシップは、地元・兵庫県加東市からいただいた優勝副賞の米180㌔を母校の笛吹市立石和中学校(山梨県)に寄贈することを決めた。
まだ独身の30歳。
「何せ、ひとりもんなんでね、僕よりも必要としてくれる人がいるんじゃないか、と」。当初は、東北に贈る計画を立てていたが、「被災地では、お米をもらっても困る、と」。
思案の末に、後輩たちの健やかな成長のために役立ててもらうことにした。
「こんな形で貢献できるのは非常に光栄。これからも、こういった活動を続けていきたい」という河野。
「そのためにも、毎年勝ち星を重ねていけるように」と意気込む。本人には、「予想外だった」という今年の活躍。「初シードの年に、初優勝が出来て、この舞台に立てる」。
2011年が明けるころは、思ってもみなかった。
「いや、ほんと予想外過ぎて」と、本番を前にただただ目を剥くばかりのこの頂上決戦は、父親の晃さんが、キャディバッグを担ぐと言って、聞かなかった。
しかし「アップダウンがきついコースだし、僕のほうからやめてくれ、と」。そこは丁重に断ったが、かわりにきっと、息子の晴れ舞台を見に来てくれるだろう。「最後の締めに、もう一度良いところを見せられれば」。
激動の2011年を、最高の形で締めたい。