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長嶋茂雄 INVITATIONAL セガサミーカップゴルフトーナメント 2012
李京勲(イキョンフン)がツアー初V
互いに右ラフからの第2打を、李はピンそばにつけた。1メートルもないバーディを、難なく決めた。それでもなお、圧倒的な飛距離を武器に、まだ攻めた。1打リードで迎えた18番パー5。「216メートル」は池の真上を越えていくルートで、躊躇なくピンを狙った。悠々と、奥のカラーに運んだ。怖い物知らずのバーディ締めに、さすがの先輩もポカンとした。
「19アンダーなんて、びっくりです」とは金。「僕は、16アンダーで勝てると思っていたので」。同じ最終組で回った宮本勝昌も呆れた。「いやあ、19アンダーは行かないでしょう」。大会最多アンダー記録の更新にも、大物ぶりが漂った。
一見、淡々として見えるが父親の相武(サンムー)さんは、首を振る。「実は、あの子の胸の奥は情熱に満ちている」。確かに優勝の瞬間に、一瞬だけそれを垣間見せた。一度だけ、力強く振り下ろしたガッツポーズが物語っていた。「プロになって初優勝なので、今日は寝られないと思います」。
しかし普段はそんな浮かれた感情も、ひけらかすことは絶対にない。ゴルフを始めた13歳のころから父親に言い聞かされてきた。「強くなるにはまず、自分の心をコントロール出来なければならない」。どんなピンチにも、ジタバタしてはいけない。「あの子にはいつも平坦な心でいるように。メンタルの本を読ませて勉強させた」。
小さい頃から物覚えも早かった。たとえば歌。「1回も聞けば、あの子は歌詞も音程も、リズムも完璧に歌えた」。
Jポップもすぐに覚えた。中でも十八番は懐かしいヒット曲。中西保志さんの「最後の雨」。プロさながらに歌い上げる。得意のカラオケ同様に類い希なる吸収力で、ゴルフもメキメキと腕をあげた。
「凄く飛ばすし、パットも上手い。アマチュア時代から、有名な選手だった」と、先輩の金は言う。2010年のアジア大会で金メダルを獲った。実績が評価され、兵役も免れた。満を持して来日した。昨年のファイナルQTランク1位の実力は、通説どおり本当だった(※)。
尊敬してやまない母国の先輩、金庚泰(キムキョンテ)や裵相文(ベサンムン)さえなし得なかった。昨年と、一昨年の賞金王でも日本での初Vには本格参戦から1年以上を要した。
李は開幕から3戦目で、早々に初シード入りを決めていた。さらに7戦目にして獲得賞金が2000万円を超えたとき、父親はあっさりと“キャディ稼業”に見切りをつけた。「息子もそろそろプロキャディをつけて、レベルアップを図るとき」。今週は、スコット・ビントさんとの初タッグにも、父の目算がみごとにハマった。
優勝賞金は3000万円で、憧れのベテランにも約360万円差に迫って賞金ランクは2位浮上。藤田寛之とは4月のつるやオープンで、自身初の最終日最終組を経験した。当時は4打差の2位に敗れたが、「藤田さんのプレースタイルはほんとに凄くカッコよくて。得に小技。非常に勉強になりました」と惚れ込んで以来、お手本にしてきた選手が今季初の予選落ちを喫した大会で、主役の座にとってかわった。
日本が誇る同い年のスターも、4打差で退けた。石川遼の活躍は、15歳のときから知っている。「史上最年少での優勝は、韓国でも大きなニュースになりましたので」。以来、常に気になる存在は実績もさることながら、見習いたいのはそのファッション。
「華やかでかっこいい。僕も石川選手のように、お洒落にウェアを着こなせたら」。最終日は石川の勝負服にあやかった。真っ赤なパンツは“遼さながら”に、この日ばかりはゴルフでも、圧倒的な強さでそのお株を奪った。石川が「この大会でいつか必ず優勝報告したい」と焦がれてやまない“ミスター”こと長嶋茂雄氏にも「超・新星の登場を、目の当たりにできてとても嬉しい」と、言わしめた。
ヒーローインタビューで誤って、「金成亨(キムヒョンソン)選手」と紹介されてしまったが、今年が終わる頃にはきっと、難解な漢字も誰も読み違えたりしないだろう。
李京勲(イキョンフン)、恐るべし20歳。
早くも、次の賞金王の呼び声高い。「将来の夢は米ツアーでの優勝ですが、それまでにまだまだ学ぶべきことはたくさんある。日本でいっぱい勉強したい」。
ちなみにただいま日本語も、猛勉強中。先月は、2週間のオープンウィークに日本語学校にも通った。初めて覚えた長文は、「失礼ですが、彼女はいますか?」。
いったい語学学校の先生は、どんなテキストを使ったのか。一斉に吹き出した報道陣に、訳も分からぬままに、それでも何か良らぬ発言をしてしまったと察して、真っ赤な顔で「スイマセンッ!!」。
この週は、“本場”の北海道で「アボジ」におねだりして大好きな回転寿司に4日も通った。普段の素顔はほのぼのと、癒やし系の20歳でもある。
※過去に、ファイナルQTランクで1位に輝いた翌年に、ツアー優勝を上げた選手には2000年の水巻善典、2003年の谷原秀人。そして2004年には、李も尊敬する選手の一人にあげる母国韓国のヒーロー、Y・E・ヤンがおり、毎年その実力が注目されています。