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TOSHIN GOLF TOURNAMENT IN 涼仙 2012
初の中国人チャンピオン、呉阿順(ゴアジュン)がツアー初V
最終日の第3ラウンドは、雷雨のため2時間12分も競技が止まった。まして大混戦の54ホールは、最終ホールで池田勇太と通算18アンダーで並んだ。勝負は18番のサドンデス。2人がティグラウンドに立った頃にはすでに18時を過ぎていた。薄暮のプレーオフは、1ホール目こそどうにか互いの顔も見えたが、両者3オン2パットのパーで分けると、にわかにそれも怪しくなった。
日没が迫っていた。西の空の夕焼けもすっかり消えた。グリーンサイドで投光器が灯されたが薄闇の2ホール目は、まさかパー5のティーインググラウンドまでその光が届くわけもなく、せめて距離を縮めてグリーンの手前145ヤードから、ストローク戦で決着をつけることに。
しかし、池田はそこから右5メートルのチャンスを活かせない。呉(ゴ)も、「プレーオフの経験は中国でもあるけど、距離が変わったりというのは初めて」と、戸惑いを隠せず1打目を木に当てたが、2打目はあわやチップイン。命拾いの3ホール目は、明かりが届くエリアがさらに狭まり、今度はグリーン手前100ヤードからの勝負となった。
池田は手前のカラーから8メートルにつけた。
呉(ゴ)は4メートルのチャンスだった。先に池田がねじ込み乱舞した。呉(ゴ)も入れ返して小躍りした。両者一歩も引かない。辺りはますます暗くなる。2人して入れ替わりに繰り出すガッツポーズは、まるで影絵のようだった。
そして4ホール目は、ついにカップから45ヤードのアプローチ戦に。
数台のカートも加わり2人を照らす。明かりがないと完全に闇。かといって、まともにライトを浴びると目がちかちかする。過酷な状況だった。
池田はカップの奥側へ大きくオーバーさせた。8メートルのパットを、今度は読みずらそうにした。1台のカートを動かして、ライン上を照らすようにと頼んだ池田は、しかしその甲斐もなく、2打で決め損ねて粘りもここが限界だった。
負けを認めて背中を向けた池田の肩越しで、2メートルのチャンスに向かった呉(ゴ)。
「暗くてほとんど見えなくて。右か左か。どちらに曲がるのかも分からなかった。自分の勘を信じてみようと思った」と、まさに闇雲でつかんだ初Vだった。
そのまま18番で行われた暗闇の表彰式で、優勝カップに何度もキス。苦労して、もぎ取ったからこそまた喜びも格別だ。
がっしりとした長身は、闇夜にも紛れない183センチ。子供のころはバスケットボールが一番好きで、ゴルフは16歳から始めた。地元福建省でスカウトされた。当時、開校したばかりのゴルフ学校の推薦を受けて、特待生で入学。アメリカで開かれたアマチュアの試合で優勝するなど、自信を高めた。
2008年にプロ転向を果たし、日本ツアーは2010年に本格参戦。しかし当時は初シード入りに失敗して、ファイナルQTはランク7位の資格で再挑戦の今季。
7つ上の大先輩には、感謝してもしたりない。
呉(ゴ)の2度目の参戦に、心を砕いてくれたのは梁津萬 (リャンウェンチョン)。「ゴルフだけでなく、僕の日本での生活から何から、本当にいろいろとサポートしてくれる。頼りになるお兄さんみたい」。
憧れの存在でもある。
2007年のアジアンツアーと、2010年にはワンアジアツアーの賞金王にも輝いた梁 (リャン)も、日本での優勝はまだ。2010年の全米プロでは8位につけた。母国が誇るインターナショナルプレーヤーの先を越した。
お世話になった先輩を差し置いて、日本ツアーで初の中国人チャンピオンに輝いた27歳は「本当に光栄です」。
コーチと今後の目標について、つい最近、話し合ったばかりだった。
「日本で勝って、早くアメリカに挑戦しよう」。
大きな野望も一気に現実味を帯びてきた。
「来年はさっそく米ツアーを目指そうと思います」。
暗闇のプレーオフから希望の光を見いだした。