Tournament article
三井住友VISA太平洋マスターズ 2014
プロ11年目のデービッド・オーが初優勝【インタビュー動画】
「今日、試合を見てくれた方には完璧なゴルフをしなくても勝てるんだということが、分かっていただけたと思います」。今となってはそう笑って言える痛恨の1打もあのときは、腰が砕けそうになるくらいに冷や汗をかいた。
最後の短いバーディチャンスも決して易しくはなかったが、「左カップギリギリを狙って打った」と、土壇場で逃げ切って、最後は言葉にならない雄叫びが出た。
身もだえもせんばかりに言った。
「今は何も考えられない! なんと表現していいか分からないくらいに嬉しいです」。
夢見心地もすぐ冷めた。祝福に駆けつけた大勢の仲間たち。頭から水を浴びせかけられ、「冷たい、寒い!」。富士の裾野はすでに真冬の冷え込みに、これぞまさに震えあがるほどの喜びだ。
前日3日目はバッバと最終組で回った。20代のころなら、オーも対抗心を燃やして戦っただろう。「僕も以前は、飛ばそうと必死だったので」。2003年の全米アマではベスト4に進出して、血気盛んなころ。
翌年のプロ転向後は2年連続の全米オープン出場も果たして、米ツアー進出を目論んだが「飛ぶかわりに、OBばっかり。これでは食べていけないと思った」。出場権にさえ恵まれずに、韓国ツアーやワンアジアツアーを転々とするうちに、「まずはフェアウェイにおいて、確実にグリーンを捉える」。自然と手堅いプレーを心がけるようになった。
やはり韓国系アメリカ人のハン・リーに日本ツアーに誘われたのも、その頃。ロス郊外の自宅は互いに歩いて15分というご近所さんは、もともとオーの兄とリーの弟が大親友という縁で、一緒に練習するようになった。「今日は彼と一緒に回れたことも、良かった」。
適度に力が抜けて、またほどよい集中力も最後まで途切れることなく、共に最終日最終組でのV争いは、リーもめっぽう飛ばすが「僕は僕のゴルフをする」とのオーの決意はこの日も最後まで、揺らぐことはなかった。大親友と互いに一歩も引かぬ大接戦も、最後は身長190センチのリーの大きな胸に包まれて、溢れ出す喜びを噛みしめた。
日本ツアーはファイナルQTランクの資格で本格参戦を果たした昨シーズンはこの時期、日照時間の関係で、出場人数が限られる今大会にも出場権がなく、現地で欠員が出るのを待つウェイティングリストの1番目で出番を待ったが、出られなかった。
昨年は春のつるやオープンで、あの松山英樹にプレーオフで敗れはしたが、それを足がかりに今年はシード選手として改めて乗り込んできた初めての御殿場は、練習ラウンドから絶好調で、練習仲間で先輩のI・J・ジャンにも太鼓判を押されたが、「いくら練習でショットが良くても78を打つこともあるのがゴルフですから」。富士の裾野で謙虚につかみとった頂点だ。
あれほど焦がれた舞台も、「日本ツアーのレベルも非常に高いし、どの大会もコースコンディションは最高ですので」。今では、以前ほどの熱はなくなった。「僕ももう、33歳」。並外れた身体能力を持つ20代の選手たちが幅をきかせる米ツアーには、もはや昔ほどしゃかりきになって向かっていく気がしない。「でも日本ツアーなら、中堅どころとして僕もまだまだやれるようが気がします」。
前日3日目はバッバと、藤田寛之と回って改めて、自分が目指すのはこれだと思った。バッバも藤田の手堅いゴルフには、感心していた。「確実にフェアウェイに置いて、グリーンを捉える」。まさにオーが目標としてきたゴルフは、また「どんなときもルーティンが変わらなくて。藤田さんのゴルフは僕にも本当に勉強になりました」と、オーも藤田に見習って、日本でも長く第一戦で活躍出来る選手を目指すつもりだ。