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日本オープンゴルフ選手権競技 2017
池田勇太が2度目のゴルファー日本一に
3日目に2位とは5打差。4年連続4度目の最終組から出ていく最終日は、やる前から3度目の正直を確信して「優勝おめでとう、なんてメールをくれた人なんかもいて」。圧勝して当然という空気の中で「プロは、やっぱりアマに負けちゃいけない」。気負うほどに、ティショットは制御できないほどに曲がりに曲がった。
「なんでこんなに球が散るのか。自分でどう打ってるのかも分からない」。
ダブルボギーの3番も、ボギーの15番もOBだった。
「3番は左に打って、左に行かせたくないから今度は右、右、右」と、自作自演の大混戦には19歳の金谷さんが、幾度となく1打差に迫った。
「彼も優勝とか意識するところがあって、後半少しブレてきた部分があった」とひと回りも下の大学の後輩のゴルフを解説ぶっても、「自分は彼よりもっとブレてた。余裕なんか、ひとつもなかった。必死だった。必死にやったあげくにこんな結果になったんです」と、1打差の辛勝には「ダサいゴルフになっちゃった。こんなに曲がり倒して申し訳ない」。
かわりに魅せたプロの技。「もともと上手い」と自画自賛のアプローチはこの日、「いつにも増して」と再三のピンチを救った。
6番はチップイン。7番では深いラフからふわりと上げて、ピンそばの連続バーディで懸命に応戦した。ラフからラフを渡り歩いた17番でも、またラフにすっぽり埋まったつま先上がりのアプローチをきっちり寄せてパーを拾った。
いくら迫られても堅牢に、1打差は守り抜いた。
ショットは曲げても、信念は曲げなかった。アマ相手に七転八倒しながら、プロのプライドは、最後まで捨てなかった。
この日は、前のティを使って297ヤードに設定された11番のパー4。先に打った金谷さんはアイアンで打った。
続く池田は迷わず1Wを持った。窮地にまみれながらも主催者の挑発にあえて乗った。軽々と奥に乗っけた。ワンオン成功に、苦し紛れのガッツポーズを握った。
17番でも右ラフと、それまであれだけ曲げていながら、1打差で迎えた18番でも池田は1Wを握って振りちぎった。
「俺の中ではドライバーしかなかった。最後は絶対フェアウェイに打てると自信を持って打った」。豪打は雨でたっぷり濡れた芝をものともせず、金谷さんのはるか彼方のど真ん中に落ちて勝負を決した。
前夜は、悪夢に身もだえた。3日目の最後3ホールで叩いた2ボギーが悔しくて「昨日は2度も夢に出てきた」。
誰より上がりホールの出来にこだわる男は最後の最後に果敢に1Wを振り切ることで、やっと笑った。
大会2位でローアマを獲った金谷さんと、肩を並べた表彰式で、互いに主催者から栄光の杯を受け取る合間をぬって、池田はしきりに何事かを話し込んでいた。
1打差で追いかける立場にいながら18番のティショットで金谷さんはスプーンを持った。
「なんでだろう、と。11番でも、彼はあそこでアイアンで刻んだよね。チャンスには、ついたかもしれないけどそれは考えがアマチュアだよね」。
無理強いするつもりはない。
「ただ、俺らは商売をさせてもらってるから。皆さん、お金払って見にきてくれているから。そういうセッティングになっているわけだし俺は、十分届くと思っているから。それがプロの凄さなんだと魅せなきゃいけない」。
刻んで、無難にパーで逃げ切るのもいいが、「そんなの見に来ているギャラリーはいない」。
誰もが胸のすく一打で魅せたい。「テレビを観ている人にも、男子プロってこういうもんだと伝えたい」。
僅差の争いのさなかの危険な賭けは、池田がいずれまたこの舞台で対峙することになるであろう将来のスター候補にリスクを冒してまでも、身をもって教えたかったプロの矜持であった。
髷げ姿が凜々しい偉大な武将のシルエットは今年の大会ロゴマークのモチーフにもなった。82回目の舞台は織田信長が天下統一を目指したゆかりの地。岐阜で31歳と9ヶ月23日目にして大接戦を制してたどり着いた2度目の日本一は、大会史上17人目の複数回V。青木とジャンボと中嶋と、AONをまとめて抜いて、大会2勝の達成年齢も更新だ。
副賞には刃物の名産、関市の刀匠が手がけた日本刀を受け取り「これが欲しくて頑張った」と破顔一笑。
今季前半戦は、ほとんど米ツアーに居座りながらも賞金4000万円の今季3勝目で、賞金ランクは3位に浮上。
「2年連続の賞金王もそうだし、またマスターズにも行きたい。あと1つと言わず、2つは勝ちたい。自分で道を、切り開いていかないといけない」。切れ味の良さは、折り紙付きだ。