Tournament article
2002 アジア・ジャパン沖縄オープン 2003
先週のアジア・ジャパン沖縄オープンで、デビュー間近の地元スーパーアマチュア、宮里優作君が大活躍!!
「俺の、ちっせ?!!」
18番グリーン上で、藤田寛之と、カップを持って記念撮影。チャンピオンと、ベストアマチュア賞のそれとを比べても、差は歴然。大きさも、重みも、倍以上はある本戦カップをうらめしげに眺め、そっとため息をついた。(勝ちたかった…)その思いが全身から、溢れていた。
東北福祉大最終学年の今年、アマでのツアー制覇が目標だった。おそらく、今大会がそのラストチャンス。最終日の第3ラウンドは、1イーグルを含む67でまわって猛然と頂点を目指したが、3打足りず、「昨日伸ばせなかった分が、最後まで響いた…」アマには充分すぎる自身2度目の2位にも、宮里君には、物足りなかった。
ギャラリーの興奮は、14番で頂点に達した。
グリーン奥からピンまで10ヤードのチップインイーグル。
通算10アンダーとなったその時点で、すでに、最終組をはるかにしのぐ大観衆の目が、地元出身のスーパーアマに注がれていた。
「みるみる、人が増えていって。(おかしいなあ、もしかして、トップはあまり伸びてない…?)そうと分かってこれはもう、あと2つ3つくらいは伸ばさないといけない、と思いながらやりましたね」
いっそう攻める気持ちを強め、16番のバーディで1打差まで詰め寄ったが、ラスト18番では、2メートルのバーディチャンスを外して、全身で、悔しがる。
「沖縄の芝目を気にしすぎて…。傾斜どおりに曲がっていった」
結局3打差の2位タイに、
「昨日伸ばせなかった分が、最後まで響きました。54ホールだったし、ちょっと物足りない…」。
自身ツアーで2度目の2位につけ、ベストアマチュア賞獲得にも、笑顔はなかった。
アマでのツアー優勝が、目標だった。
地元ギャラリーの期待が集まる中でも、頂点だけを見つめ、最後まで、攻めのゴルフに徹していった。
この日、応援にかけつけた妹・藍さんが、目を見張った。
「アマとして多分最後となる試合で、しかも地元で、プレッシャーを跳ね返すところは、とても私には真似できません」
兄でシード選手の聖志は、14番のイーグルに絶句。
「ホンマ、力があるやつです」。
チャンピオンの藤田は、言った。
「14番で1打差は、それもあり。アマといっても、彼の実力は知っているから。…というか、アマと思って、やってませんでした」。
ツアープレーヤーさえ、警戒させた。
アマ時代に出場したツアー競技は、36試合。
うち、予選通過19試合、ベスト10入りが9回。
ツアープレーヤーなら、およそ5800万円の稼いでいる計算となる。
来春にも、プロ宣言する予定の超大型新人は、
「この4年間で、ある程度の手ごたえはつかめたかな」。
ツアープレーヤー・宮里優作として、今度こそ、本物の優勝カップを手に入れる日は、そう遠くはないだろう。