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東建ホームメイトカップ 2005

廣田恭司、通算2アンダー8位タイ「ゴルフに人生、賭けてみようと」

なんとか4日間、プレーできれば上出来だと思っていた。それが通算2アンダー、上位での決勝ラウンド進出。
17番パー5では、残り240ヤードの第2打を2メートルにつけてイーグルを奪った。
「なんだか、ますます運気の上昇を感じますね」。
温和な表情が、思わずほころんだ。

プロを目指したのは、25歳と遅かった。
兄・浩章さんは、1985年にドラフト2位で入団した元プロ野球選手。廣田自身も、山口県の萩高校から協和発酵に入社し、社会人野球で腕を磨きながらプロ入りを目指していた。

転機が訪れたのは、1991年。
左太ももの肉離れと肋骨の骨折が重なって悩んでいたころ、たまたま観戦にいった地元・下関ゴルフ倶楽部で開催された日本オープンに感動して、一念発起で「俺もプロゴルファーになろう」と決めた。

「ゴルフはもともと、1年に数回行く程度で100も切れなかったくせに、ですよ。腕一本でお金を稼ぐことに魅力を感じてしまったんですね。『これに人生、賭けてみよう』なんて、思っちゃって」。

眼科医の妻・亭然さんに家計を助けられながらプロを目指していたが、昨年7月に長女・果歩ちゃんが誕生してから、ふいにツキはじめた。
その2ヶ月後の9月、地区競技の関西オープンで2位タイに入り、12月には6度目の挑戦で初めてファイナルクォリファイングトーナメントの予選を突破。
ランク21位で今年、初の本格参戦を迎えたのだ。
「嫁を手伝って、練習の合間に子育てに励むようになって、なぜだが急に運が良くなってきたんですよ」。

プロになると決意したとき、「40歳までにはなんとか…」と、考えていた。
今年5月に39歳。
遅咲きのルーキー・廣田には、まさに勝負の1年となる。

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