Tournament article
カシオワールドオープンゴルフトーナメント 2006
原口鉄也「失敗しても、これで終わりじゃないから」
「だって、恥ずかしいことでしょう?」。
以前、練習場でジャンボ尾崎の雑談に聞き耳をたてていたときのことだ。
「ただ、ボールを打つだけじゃない。道具を選ぶこと、体の管理・・・全部含めたものを実力という」。
その言葉が胸にしみた。
「体と、頭と、技術と。すべてにおいて強くなければならない」と、自分に言い聞かせたものだ。
だからこそ、「自己管理ができなかった自分が恥ずかしくてたまらない」と原口は言うが、そんな苦難があったからこそ、今の自分があるのもまた事実。
ケガとの戦いは壮絶だった。
「もうだめかもしれない」。
半分、絶望の中であらゆる治療に奔走した。
「良いといわれることは何でもやった」。
東京都内の有名病院でレーザー手術を受けたのは2002年4月。
「怖かったけれど、何もしないで後悔はしたくない。失敗してもいいじゃんと、言い聞かせた」。
そのおかげで、まさに「劇的」な回復を果たして思った。
「あきらめないで、治療を続けて本当に良かった、と」。
あのときの気持ちが、今の原口のゴルフを支えている。
たとえば、3日連続で迎えた翌最終日。
「もし、勝てなくてもこれで終わりじゃない」と思える。
「手術のときのように『失敗してもいいじゃん』と開き直れるから」。
変な気負いを持つこともない。
最終日は欧州メジャーチャンピオンとの一騎打ちになるだろう。
「でも、ゴルフは自分との戦い。確かに、彼のゴルフはすごいけど。ジーブのことは見ないようにします」と笑った。
原口鉄也はらぐちてつや
和歌山・那智中の89年と、東京学館浦安高の91年に日本ジュニアで優勝。さらに日大進学後は96年春に関東アマ、秋には日本アママッチプレーを制覇。
小5のとき、ヒジを壊してゴルフに転向した元・野球少年は、めきめきと頭角を現して97年のプロテストで一発合格。2000年には初シード入りを果たしたものの、翌年には頚椎の椎間板ヘルニアを患って2002年には出場権さえ失った。
懸命のリハビリとトレーニングで今季ファイナルQTランク16位の資格で出場権を取り戻し、賞金ランク56位でみごとシード復活を果たしている。