Tournament article
つるやオープン 2007
倉本昌弘が単独3位
一時帰国の国内初戦で、いきなり優勝争いに食い込んで「若い連中は、何してんですか?」と渇を入れた。
昨年に引き続き、今季も米シニアのチャンピオンズツアーに拠点を置く。
今年から規定がガラリと変わり、昨年の賞金ランク37位でもなかなか出場権が繰り下がらない。
マンデートーナメントから挑戦しなければならない大会も多く、苦労が続いているが、同時に「やり甲斐も感じている」。
たとえば、日本ツアーにいたときは、風の中のゴルフが嫌いだった。
「でも、アメリカでは今日のような風が常に吹く。嫌だと言っていたらゴルフにならない」。
加えて、レギュラーにも負けず劣らずのタフなセッティングだ。
倉本、といったら構えるなりすぐ打つプレーが特徴だった。
「向こうでそんなことをしていたら、他の選手に“もったいない”と言って叱られる」と、笑う。
「お前は、もっとゆっくり打てと。ボギーを打つようなゴルフをしてないのだから、と」。
自然と、プレーが丁寧になった。
特にパッティング。
現役シニアプロのデイブ・ストックトンに、「体を動かさず、頭を残して、肩でストロークしなさい」と教わった。
相変わらず今週も、そのアドバイスを実践している。
無謀な攻めも、しなくなった。
たとえば、ここ山の原の15番パー5(500ヤード)は、40代の自分なら「何がなんでも狙ってた」。
しかし、今はあえて5番ウッドで刻んで70ヤードの距離を残す。
まずは確実にパーを取るゴルフで、チャンスを伺うようになったという。
「向こうでは、雑なゴルフはダメ。優勝はできなくても、シュアなゴルフで、ひとつでも上に行く。そんな気持ちでプレーしたら、今週もある程度はいける自信がある」と胸を張る。
実は今回、帰国したのは手術を受けるためだった。
2000年に重い心臓病の大手術を受けたとき、開いた胸骨を止めるのに使用したチタンの器具が昨年末に破損して、神経を圧迫するようになっていた。
先週月曜日に患部を開いて処置をした。
4日間の入院を余儀なくされたが、週末には復活。
執刀医は渋ったが、ともにコースをラウンドしてGOサイン。
胸の真ん中にある5センチほどの傷口は、いまだ赤く腫れたままだ。
そんな状態でありながら、今週3日目時点のドライビングディスタンスでは、301.17ヤードを記録して堂々9位。
強靭な体力と、不屈の精神力には改めて驚かされるばかりだが、本人は「本当ならば、2000年の時点でとっくに試合は諦めているところだけどね」と、苦笑した。
幾たびも不死鳥のように蘇り、日米を股にかけて戦える喜びを、いま改めて噛み締めている。
「あのときの、青木さんの気持ちが分かったよ」と、倉本。
「若い子たちと戦えるって、こんなに楽しいものなんだね!」。
大会が終われば再び、アメリカに舞い戻る。
その前に置き土産だ。
首位と4打差から挑む最終日は「若い子に、倉本のゴルフは変わったな、というところを見せたい」と言った。