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キヤノンオープン 2008
井上信が逆転のツアー通算2勝目
しかも18番で、肋骨骨折というおまけつき。
仲間の手荒い祝福で池にはめられたはいいが、落ちどころが悪かった。
不幸で、そしてちょっぴり珍妙な優勝シーンが話題となり、ワイドショーでも取り上げられて「少しは名前を売った」がその後、順風満帆ではなかった。
むしろ毎春、「俺は今年でもう終わり。二度と勝つこともない」と、絶望的な気持ちになった。
なぜか必ずシーズン序盤に出遅れる。終盤までシード権の確保を引っ張って「そのせいで、引きこもりがちになる」。
それでも、ようやく秋頃に調子を取り戻し、辛くも翌年の出場権を守るというパターンはやっぱり今年も同じで、つい先週までシード権の保持に奔走していたのだ。
そんな選手がその翌週には、6打差の大逆転で頂点に立っている。
しかも優勝賞金は4000万円。
今年、誕生したばかりのビッグトーナメントで栄光の初代チャンピオンに輝いて、本人すら首をかしげた。
「それほど大きなイベントで本当に僕が勝ったのか・・・。ゴルフって本当に分かんないです」。
最終日はボギーなしの65をマーク。最終組の4つ前の組でスルリと首位に抜け出した。
一時は独走態勢を築いた藤田寛之が、終盤にまさかの失速。
「僕のほうはプレッシャーもほとんどなかったし、今日は棚ボタかな?」と、自ら気まずそうに言ったものだ。
優勝が決まった瞬間も、むしろ親友の平塚哲二や久保谷健一、矢野東らのほうが狂喜乱舞していたほどだった。
優勝スピーチでも自分のこともそっちのけ。イーグル賞の受賞で表彰式に参列した石川遼を「次はきっと優勝してくれるでしょう」などと言って、17歳を持ち上げた。
2月の結婚したばかりの妻・明日香さんも言うように「ああ見えて、ものすごく人に気を遣う。気配りの人なんです」。
プレーオフの可能性はあったが「備えて練習すると、かえって悩んでしまう」とあえて練習場には行かないで、パッティンググリーン横のテレビモニターで後続組のプレーを見守った。
そこには藤田の師匠の芹澤信雄と弟弟子の宮本勝昌もいた。
最初にひとつ前の組の手嶋多一が5メートルのバーディパットを外し、さらに最終組の宮里優作もそれと同じような距離を外し、そして最後に藤田がバーディパットを打つ直前だった。
複雑な表情で画面を見つめていた井上を見透かすように、かたわらの宮本がポツリと言った。
「外してくれって、思ったっていいんだよ。それが勝負の世界なんだから」。
確かに他の選手が崩れたことで、思いがけず転がり込んだツアー2勝目かもしれないが、この日奪った7つのバーディはこのオフ、持ち球のドローに加え、フェードボールを習得しようと練習に練習を重ね、精度を磨いてきた成果にほかならない。
トレーニングやランニングも「それは別に、これまでもやってきたことだから」と、本人には今や単なる日課に過ぎず、着々と積み上げてきたこの4年間。
宮本のいうように遠慮することなど何もない。
「今年はもう1回くらい、勝負を賭けようかな」と、おずおずと言った。
照準はやっぱり2週後。
所属コースの千葉県・袖ヶ浦カンツリークラブで開催されるブリヂストンオープンだ。
「今年は自分のコースでもう1勝」。
そう言ってしまってから慌てて撤回。
「あまり意気込むと僕はダメになるから。やっぱり静かにチャンスを待ちます」。
控えめでいて、秘めた闘志は決してぶれない。
それが井上の持ち味だ。