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青木功特別賞受賞

特に偉大な功績を残した選手に贈られるジャパンゴルフツアー特別賞を受賞した。あいにく本人は、12月3日に行われた「2007年ジャパンゴルフツアー表彰式」に列席できなかったが、かわりに壇上に立ったチエ夫人が、社団法人 日本ゴルフツアー機構会長の島田幸作より記念のトロフィと、雄大産業株式会社PROSSより副賞の「商品券50万円」を受け取って感激のスピーチだ。

「さすがに私にはもう、こんな華やかな舞台に立つ機会はないだろう、と思っていました。しかし、うちの夫はたいしたもので、みんなが忘れたころにまたこうしてすばらしい賞を取ってくれたのです・・・」。
結婚生活29年。内助の功のお手本ともいうべき存在は「青木功にこの人あり」とまで言われた。

ジャック・二クラウスとの死闘の末に、全米オープンで2位につけたのは1980年。
1981年にはいよいよ日本を飛び出し米ツアーに本格参戦。
1982年には初のシード権を獲得し、快挙達成は翌年の1983年。
ハワイアンオープン(現・ソニーオープン・イン・ハワイ)で、日本人初の米ツアー初優勝。
その間、国内では4年連続の賞金王に輝いている。

通算1000試合出場を達成したのは2001年。米シニアツアーの「フォードプレーヤーズ選手権」だ。
日本人男性として、初の世界ゴルフ殿堂入りを果たしたのが2004年。

そのかたわらには常にこの人の笑顔があった。世界各地でなしとげた数々の栄光を、影となり日向となって支え続けたのがチエさんだった。

若手には、時に鬼の形相で叱咤激励を浴びせる“世界のアオキ”が、この人を前にするとたちまち笑み崩れる。
ときおりチエさんに何事かでたしなめられて、まるで子供のような表情でしょんぼりとうつむく姿が周囲の微笑ましい笑いを誘うこともしばしばだ。

そんなチエさんに「自分の夫ながら誇りに思い、その女房であることに幸せを感じます」と、改めて言わしめたのが今年11月。
日本シニアオープンで6打差5位からの大逆転優勝。
しかも10年ぶり、史上最多となる5度目のタイトルは、最終日に65の“エージシュート”を達成するという、超ビッグな記録つきだった。

チエ夫人が続けて言った。
「今の若い人たちは、みなさんとてもゴルフがお上手です。でも、その存在感という点においてはまだまだ、うちの青木にはかないませんよ!」。

その言葉に、誰も異論はないだろう。
“伝説”は、まだまだ終わらない。
最愛の人をかたわらに、世界のアオキはこれからもますます輝き続ける。

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