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サン・クロレラ クラシック 2009

石川遼が完全優勝で今季2勝目

この日、最後まで接戦を繰り広げたジョーンズにねぎらいの言葉をかけらえ感無量・・・
18番グリーンで、豪州のブレンダン・ジョーンズと抱き合って健闘をたたえ合い、感極まった。最終日は互いに一歩も引かない男の戦い。ともに大接戦を演じた相手から、「この経験は、遼にとってきっとプラスになる」と言われて、17歳の胸にこみ上げてくるものがあった。
もう一度、握手を求め、どうにか涙を堪えて「ありがとう」と、小さくつぶやく。

しかし優勝インタビューで、改めてこの日のプレーを振り返ったとき、とうとう涙がこぼれ落ちた。
「BJ(ジョーンズの愛称)がいなかったら、最後まで頑張れたかどうか分からない。今日のプレーがあるのは彼のおかげです。BJは本当に素晴らしい選手です。そんな選手と最後まで競り合えたことを僕は誇りに思います」。
大粒の涙をポロポロとこぼしながら、満員の観衆に訴えた。

ジョーンズだけではない。
ツアーを代表する精鋭たちの存在が、石川の心に火をつけた。
「みなさんにもお礼が言いたい」。
ツアーで自身初の完全優勝を達成した最年少プロは、嗚咽しながら並み居る先輩たちにも頭を下げた。

今年、記念の10周年を迎えたサン・クロレラ クラシックは難コースの小樽を舞台に、まれにみるバーディ合戦。2位と2打差の首位でスタートした石川も、序盤で攻めあぐねてもたつくうちに、あっという間に集団にのみ込まれた。

ツアー2勝目をあげた6月のミズノオープンよみうりクラシックも、3打差の首位で出たが、「あのときとは選手層の厚さが違った」。この日、石川にとって、もっとも怖い存在のひとりが片山だった。その片山が、2番から怒濤の4連続バーディで自分と並んでいることを、6番ティグラウンド横の順位ボードで知った。

そればかりか、ゲームは1打差5位に6人がひしめく大混戦だ。「これが、リードして最終日を迎える難しさ」と痛感した。このまま崩れ去るのか、持ち堪えるかの分かれ道で、ようやく「気合いが入った」。17歳のエンジン全開。その6番と、8番からの3連続バーディで対抗した。それでもなお、一人しぶとく食らいついてきたのがジョーンズだった。

後半の一騎打ちは取って、取られて、取られて取って・・・。ジョーンズは、ピタリとくっついて離れない。次第に石川のショットが乱れてきた。15番で、ラフを渡り歩いてボギーを打った。
いよいよジョーンズに並ばれた。
16番でもまたラフ。しかも第2打は、目の前に木。さらに30ヤード先にまた木。ライは左足下がり。残り175ヤードは、8番アイアンで刻むしかなかった。ピンまで40ヤードのアプローチは「夢中で寄せて入れた」。1.5メートルにつけて、土壇場で渾身のパーを拾って「ここからが本当の勝負だ」。

緊迫のゲーム展開に、この日はラウンド中に4回もトイレに駆け込んだという。「こんなことは、今までで初めてのこと」。ほんのつかの間、一人きりになれ、ほっと落ち着ける場所で手を洗い、鏡に顔をうつして「よし頑張ろうと思えた」という。

タイで迎えた最終18番は、ジョーンズとともに残り195ヤードのバンカーで4番アイアンで打ち、最後はパット勝負で下りの3メートルをねじこみ競り勝ったが、「最後の1打が入った、入らなかったの差だけで、ほぼ僕の負けだったと思います。勝者は僕だけど、内容的には僕が負けていた」と、振り返る。

そんな謙虚な17歳に、「小樽の女神さま」が微笑みかけた。

今季2勝目の年間複数回優勝一番乗りは、セベ・バレステロスが1977年に日本オープンと、ダンロップフェニックスで達成した20歳を抜いて、ツアーの最年少記録を達成だ。
「最後まで絶対にミスできない。プレーオフもあるという展開で、ハラハラ、ドキドキする内容のプレーで、最後にバーディで勝てたということは、プロゴルファーとして凄く良い経験」。
これで、8月13日に開幕の全米プロ(ヘーゼルティンナショナルGC)にも弾みがついた。

4月で夢のマスターズに出場し、7月は全英オープンでリンクスコースにも挑戦した。
小樽でこの4日間、高い集中力を保ち、毎日リーダーボードのてっぺんに居座り続け、多少のことではびくともせずに、賞金王の猛追をも振り切る強い精神力は、このメジャー2戦で養われた。

2日目、3日目に引き続きこの日最終日も4つのパー5ですべてバーディを奪うなど、4日間で合計25個(1イーグル含む)は、最多バーディ賞(サン・クロレラ提供)の200万円を獲得したが、勝利のかなめとなったのは、むしろ「どんなに汚くても、格好は良くなくても、輝いている。そんなパーがたくさんあったからこそ。そういう1打が最後の最後に生きた」。
そんなしぶとさもまた、メジャーの舞台でたたき込まれてきたことだった。

「メジャーに出るまでは、出場することさえも夢のまた夢と自分で壁を作っていたけど、まぐれでも一度出場すると、夢は目標に変わる。またもう一度、ここに戻ってこようと思えるようになる」。
次のメジャー3戦目は、そんな17歳の心に何を残すだろう。
「今度は、あの舞台で4日間プレーするとはどういうことなのかを経験してみたい。そこで、足りないと感じた部分をまた次の日本ツアーで生かしたい。関西オープンで、また一つ大きくなった自分を見せたい」と、石川は言った。
  • ヒーローインタビューで、ジョーンズへの感謝が改めて沸いてきて、堪えきれずについに涙が
  • 大会主催の北海道放送(株)の長沼修・代表取締役会長から受けた優勝杯。各協賛スポンサーにも感謝の言葉を
  • そして、満員のギャラリーにも「みなさんの力があって勝てました!!」と声のするほうへ大きく何度も手を振った
  • 「今週は、小樽のグリーンと僕のタッチが合って優勝できた。最後のバーディも、小樽のみなさんのおかげで決められた」とコース管理のみなさんにも感謝…!!

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