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講演会を「失敗」と悔いる甲斐慎太郎だったが…

一応は笑顔でこれまでの人生を語りながらも背中は冷や汗でぐっしょり…。初体験の講演に「途中から、何を伝えればいいのか分からなくなった」と悔いる甲斐だが…
そして5時間目。この日最後の授業は「夢を持とう」と題した講演会だ。しかし、終了のチャイムが鳴るまでに、ギブアップ。自身の人生年表を書いたホワイトボードの裏で、甲斐慎太郎はひっそりと肩を落とした。

「やっぱり、僕は“先生”には向いてなかった……」。
大勢の前で、これまでの人生を語るなど、初めての経験。事前に話したいことをメモに取り、準備をしてきたつもりだった。
しかしいざ始まると、子供たちの真剣な目に気圧されて、背中にツツゥ〜と幾筋もの冷や汗がつたった。

言いたいことの半分も話せなかった。
「……スミマセン」と、甲斐は福本常雄校長先生に謝った。
「途中で、何を話せばいいか分からなくなって、もうダメだ、と。誰か、助けてくれ、と思ってしまった」。

本人は、上手に話せなかったことを悔やんだが、「子供たちに、何も伝えられなかった」と思うのは、間違いだ。

ちゃんと、届いている。
6年の学級委員長の三宅賢征くんは、講演会を聞いた4,5,6年生を代表してプロへのお礼の挨拶でこう述べた。

「今日は講演をしていただきありがとうございました。夢を持つ喜び、努力、勇気など、とても心に沁みるお話でした。自分も、これから誰かの支えになれる存在になりたいです。今日はほんとうにありがとうございました」。

講演会を聞く前に、事前に作った文章ではない。
三宅くんは、甲斐の話を聴きながらこの感想文をメモにしたためた。

14歳からゴルフを始めた甲斐は、父・稔さんの勧めでプロゴルファーを目指した。
福岡の沖学園3年のとき、九州アマ制覇。
日体大4年のとき、日本アマで優勝。

鳴り物入りでプロ転向を果たしたが、そのあと数年間は「周囲の期待に応えよう」と気負うあまりに成績が残せず、ツアーにすら出られないつらさを味わった。

そのとき、支えてくれたのが、妻・智香さんだった。
「家族のために頑張ろうと思った」と、甲斐は話した。
さらに、昨シーズンは生まれてくる長男・琉斗(りゅうと)くんのために、いっそう頑張ったこと。
8月のバナH杯KBCオーガスタは、その末につかんだツアー初優勝だったこと……。

「甲斐プロが、家族のために頑張ったと話してくださった部分が一番、心に残りました。僕の夢は、プロ野球選手になることですが、僕も甲斐プロを見習って、家族のために頑張れる選手になりたいです」と、三宅くんは言った。

思いどおりにいかず、夢を見失いそうになったときに救いになったのは、いつも家族の存在だった。
「家族がいてくれたから、小さな努力を積み重ね、いま自分に出来ることをひとつひとつこなして行こうと思えた」と、子供たちに打ち明けた甲斐に、もうひとつ励みが出来た。

この日、出会った子供たちだ。

お別れの挨拶で、スナッグゴルフ講習会を受けた3年生は、給食の時間に一緒に撮った写真をさっそくプリントアウトして、手作りの額縁にしてプレゼントしてくれた。
その裏にはこんなメッセージが…。

「わたしたちの小学校に来てくれて、ありがとうございました。今日は宝物がいっぱいできました。これからも応援しています」。

さらに、“ゴルフ伝道”の授業を終えて学校を辞す前だ。
「テレビで応援しているからね〜!!」。
賑やかな声に振り返った校舎には、教室の窓に鈴なりの子供たち。

この日の子供たちとの出会いが、甲斐にとっても大切な宝物だと実感した瞬間。
「ありがとう〜。僕も頑張るからね〜!」。
甲斐も大声で今年の活躍を誓って、手を振った。

  • その世界で着実に結果を残してきた“成功者”としての甲斐の生の声には、確かに子供たちに伝わるものがあったはず。
  • 講演会の最後には、全校児童155人ひとりひとりに直筆サイン入りゴルフボールをプレゼント!!
  • 3年生から、給食時に一緒に撮った写真を、さっそくお手製の額縁付きで受け取って、感激!!
  • 学校を辞するとき、大声に振り向くと、教室の窓に子供たちが鈴なり。思わず笑顔で手を振り返した。

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