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講演会を「失敗」と悔いる甲斐慎太郎だったが…
「やっぱり、僕は“先生”には向いてなかった……」。
大勢の前で、これまでの人生を語るなど、初めての経験。事前に話したいことをメモに取り、準備をしてきたつもりだった。
しかしいざ始まると、子供たちの真剣な目に気圧されて、背中にツツゥ〜と幾筋もの冷や汗がつたった。
言いたいことの半分も話せなかった。
「……スミマセン」と、甲斐は福本常雄校長先生に謝った。
「途中で、何を話せばいいか分からなくなって、もうダメだ、と。誰か、助けてくれ、と思ってしまった」。
本人は、上手に話せなかったことを悔やんだが、「子供たちに、何も伝えられなかった」と思うのは、間違いだ。
ちゃんと、届いている。
6年の学級委員長の三宅賢征くんは、講演会を聞いた4,5,6年生を代表してプロへのお礼の挨拶でこう述べた。
「今日は講演をしていただきありがとうございました。夢を持つ喜び、努力、勇気など、とても心に沁みるお話でした。自分も、これから誰かの支えになれる存在になりたいです。今日はほんとうにありがとうございました」。
講演会を聞く前に、事前に作った文章ではない。
三宅くんは、甲斐の話を聴きながらこの感想文をメモにしたためた。
14歳からゴルフを始めた甲斐は、父・稔さんの勧めでプロゴルファーを目指した。
福岡の沖学園3年のとき、九州アマ制覇。
日体大4年のとき、日本アマで優勝。
鳴り物入りでプロ転向を果たしたが、そのあと数年間は「周囲の期待に応えよう」と気負うあまりに成績が残せず、ツアーにすら出られないつらさを味わった。
そのとき、支えてくれたのが、妻・智香さんだった。
「家族のために頑張ろうと思った」と、甲斐は話した。
さらに、昨シーズンは生まれてくる長男・琉斗(りゅうと)くんのために、いっそう頑張ったこと。
8月のバナH杯KBCオーガスタは、その末につかんだツアー初優勝だったこと……。
「甲斐プロが、家族のために頑張ったと話してくださった部分が一番、心に残りました。僕の夢は、プロ野球選手になることですが、僕も甲斐プロを見習って、家族のために頑張れる選手になりたいです」と、三宅くんは言った。
思いどおりにいかず、夢を見失いそうになったときに救いになったのは、いつも家族の存在だった。
「家族がいてくれたから、小さな努力を積み重ね、いま自分に出来ることをひとつひとつこなして行こうと思えた」と、子供たちに打ち明けた甲斐に、もうひとつ励みが出来た。
この日、出会った子供たちだ。
お別れの挨拶で、スナッグゴルフ講習会を受けた3年生は、給食の時間に一緒に撮った写真をさっそくプリントアウトして、手作りの額縁にしてプレゼントしてくれた。
その裏にはこんなメッセージが…。
「わたしたちの小学校に来てくれて、ありがとうございました。今日は宝物がいっぱいできました。これからも応援しています」。
さらに、“ゴルフ伝道”の授業を終えて学校を辞す前だ。
「テレビで応援しているからね〜!!」。
賑やかな声に振り返った校舎には、教室の窓に鈴なりの子供たち。
この日の子供たちとの出会いが、甲斐にとっても大切な宝物だと実感した瞬間。
「ありがとう〜。僕も頑張るからね〜!」。
甲斐も大声で今年の活躍を誓って、手を振った。