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石川遼くん特別賞とゴルフ記者賞、MIP賞受賞
特別賞と、ゴルフ記者賞と、MIP賞の3冠受賞は、いずれもアマチュアでは史上初。
12月3日の「2007年度ジャパンゴルフツアー表彰式」で登壇した石川くんは、タキシードでビシっと決めたプロに混じって母校・杉並学院の制服姿が初々しかった。
その背後に大きく映し出されたのは、誰の心にも強く残ったあのシーン。
本人も「180度、人生が変わった」と振り返った、史上最年少優勝を達成した5月のマンシングウェアオープンKSBカップ。
もちろん、3賞ともこの快挙を評価されてのものだったが、特に石川くんが感激したのはこの賞だった。
通称「MIP賞」は「Most Impressive Player賞」の略称で、「もっとも印象に残った選手」を全国ゴルフファンのみなさまに投票で選んでもらう。
優勝スピーチで「世界一好かれるプロ」を目標にしているといい、また常日ごろから「ファンのみなさんに喜んでもらえるようなプレー」をモットーにしている石川くんにとって、同賞の受賞は格別な思いがあったのだ。
社団法人 日本ゴルフツアー機構会長の島田幸作より記念のトロフィとメダルを、また東京運動記者クラブを代表して、日刊スポーツの大石健司さま(=写真下、右)よりやはり記念のトロフィを、満面笑顔で受け取った。
その感想を訊ねられ、「なんで僕を選んでくださったのか…。逆に僕のほうから聞いてみたい」と謙遜したが今年、これほどに世間を感動の渦に巻き込んだプロはほかにいなかった。
コース以外での振舞いもパーフェクト。ツアーに出れば必ず呼ばれるインタビューは、どんな結果に終わっても、嫌な顔ひとつせず会見場に現れる。16歳らしからぬコメントで報道陣をうならせる。
できれば断りたい、と思ったこともあっただろう。
たとえば、2試合連続の予選落ちを喫した10月のブリヂストンオープンがまさにそうだった。
まさかの乱調で86を打って最下位まで落ちた大会2日目。
無理に笑顔さえ浮かべ、涙をこらえて気丈に質問に答えたあのときの心境を「本当は、その日のプレーなんか振り返りたくもないって気持ちでした」と前置きした上で、「でももし会見に呼ばれなかったら、今も引きずったままだったと思う」と石川くんは言った。
「その瞬間はショックなことがあっても、それを口に出してみなさんに聞いてもらうことで自分の中で反省もできたし、気持ちもスッキリできました。みなさんとお話しするうちに、気持ちの整理もつきました。毎日、インタビューに呼んでいただき、僕の話を聞いてくださって、ほんとうにありがとうございました!」。
表彰式のあとの会見でそう言って、最後にスックと立ち上がり、報道陣に深々と頭を下げて、激動の1年を締めくくった。
来季は、今季エントリーしたトーナメントに加えて十数試合の出場を予定しているという石川くん。
ハニカミ旋風は、まだまだ続く!