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カシオワールドオープンゴルフトーナメント 2006

ジーブ・ミルカ・シンが日本ツアー初優勝

主催のカシオ計算機株式会社、樫尾和雄・代表取締役社長から受けた日本で初めての優勝カップ
今年足りないものがあったとすれば、日本ツアーでの優勝だけだった。「なんとしても勝ちたい」との熱い思いを胸に秘め、首位タイからスタートした最終日。
激しく降り続く雨の中、ニュージーランドのデービッド・スメイルの猛追にあった。
終盤で1打差まで詰め寄られる苦しい戦い。

最後は、3メートルのバーディパットを沈めて逃げ切ってホっと息をつく。
来日当初からの専属キャディで「ベストパートナー」の藤室一平さんと、きつく抱き合った。
世界各地でのほとんどのトーナメントに付き添ってくれた婚約者のクドラさんとは目と目で合図。

「やっと勝てたね・・・!!」。

日本に来て6年。納豆が大好きになった。刺身を食べて、腹をこわすという体験もした。友達もたくさんできた。

中でも特に、付き合いが深いのは立山光広だ。
今季から、GMAとクラブ契約を結ぶことになったのも、立山の紹介があったからこそ。

今年、10月の欧州メジャー『ボルボ・マスターズ』で優勝賞金1億円を手に入れた。
アジアンツアーでは約7000万円。最後1試合を残してすでに、賞金王が確定している。

そして、今年いちども予選落ちなし。幾度も優勝争いに絡み、このカシオワールドオープンで、いよいよ手にした初優勝。約8400万円稼いでランク8位に急浮上した日本ツアー。
2002年には、シード落ちも経験してどん底を味わった。
翌年の出場権をかけて臨んだファイナルQTの会場が、ここkochi黒潮カントリークラブだったことを、いま懐かしく思い出す。

「日本には、思い出がたくさんある。良いことも悪いことも、たくさんあった。今年、世界各地でこれほど活躍することができたのは、日本での数々の経験があったからこそ。助けて、支えてくれたみなさんに、心から感謝しています」。

今年、世界中で稼いだ金は軽く2億円を超えた。
出場試合は、残り2試合を含めて39。
「・・・本当にすごい選手だよ」と日本の賞金王・片山も賞賛を浴びせるタフネスぶりは、父親のミルカ・シンさん譲り。
1960年のローマ五輪4位、1958年のアジア東京大会で400メートル走の金メダリスト。
インドの英雄は80歳を間近にした今でも、週4回は接待でゴルフコースを回り、最初のハーフは絶対にカートを使わない。
「そんな父のDNAを、僕も確かに受け継いだと思う」とシンは言う。

現在、世界ランクは63位。
今週の日本ツアー最終戦ゴルフ日本シリーズJTカップと、翌々週のアジアンツアー最終戦ボルボ・マスターズの結果次第では、同ランク50位に食い込む可能性もある。
もしそうなれば、来年のマスターズトーナメントの出場権が手に入る。

インド人として、初めてオーガスタに立てるかもしれない。
「メジャーで勝つことが、人生最大の夢。もし、それがマスターズなら・・・。グリーンジャケットが手に入るなら、どんな努力でもする」と、言ったその目は本気だった。
  • 「最初の頃こそ、一から十まで教えたものだったけれど・・・一平も成長したね」タッグを組んで6年目の専属キャディと熱い抱擁
  • 「特に今日は雨の中、一生懸命に大会を盛り上げてくださったボランティアのみなさん、ほんとうにありがとうございました!」(シン)

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