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ブリヂストンオープン 2010
岡茂洋雄(おかもひろお)は「元社員が活躍出来たら面白い」
今大会主催のブリヂストン契約プロは、「いやいや、僕なんかより、スター選手が大勢いますし、僕は切羽詰まって結果を出せるほど、上手なプロじゃない」と謙遜しつつ、「でも、元社員がここで活躍出来たら面白い」。
29歳まで、ブリヂストンスポーツの中国・広島支社の施設用品関連課で営業を担当していた。
忙しい仕事のかたわら合間を縫って練習場で打ち込み。競技会を含む年間50回を超えるラウンドをこなし、もっぱらアマチュアゴルファーとして、活躍を続けていた。
転機になったのが、まさに97年のこの大会だった。出場の機会を得たこのブリヂストンオープンは、1打差で予選落ちしたもののプロとして通用するとの手応えを掴んだ岡茂はその3ヶ月後に辞表を提出。
翌年にはPGAのプロテストに一発合格。2000年にはツアーの出場優先順位を決めるファイナルQTで7位につけて、2001年は本格参戦も果たした。
順風満帆に思われた脱サラ生活。
たちまち暗雲垂れ込めた。2002年だ。手首に突如走った激痛は、クラブさえ握れない。
医者に診せたが原因が分からない。さんざん、病院をはしごして判明した病名は「キーンベック病」。
手関節内にある月状骨に圧がかかって壊死してしまう症状といい、「僕は3分の1以上の骨がつぶれていた。当時は2ピースボールを1日に500球以上打っていて。練習しすぎも原因になったと思う」と、振り返る。
痛みを消すには、手術しか方法はないと言われた。「でも、手術をすると、筋力も握力も、元に戻るか分からない、とも」。
ゴルフ人生の危機に直面し「手術はしない」と決めた。
痛みの出ないスイングを模索し、練習方法を工夫し、どうにか痛みが出ずに落ち着いてゴルフが出来るようになってきたのは「ここ1、2年」という。
ファイナルQTはランク58位につけて、ツアーに復帰してきた今年、このブリヂストンオープンも実に、10年ぶりに出場を果たした。
久しぶりに舞い戻ったホスト試合は「社員時代にお世話になった方々が、もうみなさんすっかり偉くなっていて。気後れします」と、笑う。
壮絶な怪我との戦いから這い上がり、「やっとこのステージに戻って来られたんだなあ、と。今はただ、この状況に酔ってる状態です」と、この日は水曜日の公開練習ラウンドで、しみじみと噛みしめた。
プロ転向以前から世話になってきた人々に報いるチャンスは、「自分にプレッシャーをかけて、結果が出るほど上手なタイプでもないので」と、どこまでも自虐的だが、「少しでも恩返しのプレーが出来れば」。
ひそかに、そんな期待も胸に秘めて袖ヶ浦に降り立つ。