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マンデーから全英オープン10位は日本人選手の海外挑戦意欲を促した鈴木規夫

ファイティング・スプリット旺盛のサムライ・鈴木規夫
ロイヤル・バークデールでの全英オープン開催が5回目となった1976年。この年、全英オープンの出場資格を持たない若干24歳の日本人選手が日本を飛び出し狭き門の可能性にかけて全英オープンのマンデートーナメントに挑戦した。その名前は“鈴木規夫”。

鈴木はその年石川県の能登カントリークラブで開催された日本ツアーのダンロップトーナメント(現:三菱ダイヤモンドカップの前身)に参戦していた。同じくその大会に海外から参戦していたオーストラリアのピーター・トムソン。ピーターは言わずと知れた全英オープンで5回もの優勝を挙げた名プレーヤー。今年の会場のロイヤル・バークデールでも初開催となった1954年と65年に2度優勝している。そのピーターから「ノリ。海外には凄い選手と素晴らしいコースが沢山ある。どうだ、ノリもイギリスの全英オープンという大会に行ってマンデートーナメントにチャレンジしてみないか?」と誘われた。ゴルフに対する貪欲な姿勢、挑戦意欲はどのプレーヤーよりも持ち合わせていた鈴木は、迷うことなくイギリス行きを決めた。プロ入り4年目にして初めてのメジャー挑戦だった。

本戦開催コースから車で30分ほどのサウスポート近くのウエスト・ランカシャーカントリークラブがマンデー予選の会場となった。挑戦者の数は当時最多の800名。12名の狭き門を争う形となった。初めて見るイギリスのコースにどこへ打って行ったらいいのかわからず、無我夢中で攻め抜いた初日は73。通過は微妙。次の日でメジャー挑戦の切符を手にする事が出来るかが決定する。ダメで元々、開き直って攻めた最終日は昨日よりも2ストローク少ない71。トータル144は141に続いてこのコース2位の成績で見事予選通過を果たしメジャーへの挑戦権を獲得した。

会場はロイヤル・バークデール。点と点とを結んでいかなくてはならない過酷なコース。見た目と感じた感性、そして自分を信じて貫いた18ホール、鈴木は初日メジャートーナメントで首位に立った。そして2日目、3日目と大崩れする事もなく迎えた最終日では、この大会が同じく初めてのメジャー挑戦となったセベ・バレステロスと激しく優勝争いを演じ、最終的に10位に入る健闘を見せた。「日本のスズキとはオートバイだけじゃない」と地元のファンを唸らせた。当時初めて全英オープンが日本でテレビ中継された年で、テレビ観戦している日本のゴルフファンも夢中となった。

プロである以上、高いレベルのフィールドを追い求める鈴木の貪欲さがプロ達の魂に火をつけさせ、その後日本から海外へ積極的に挑戦する火付け役となった。

サムライ“鈴木イズム“を受け継ぐ日本人選手たちの熱い戦いに期待したい。
  • 大自然の全英コース
  • 鈴木イズムがコースに潜む
  • 今年大きく改造された17番ホールPar5
  • 日本の国旗がロイヤル・バークデールでも掲揚されている

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