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TOSHIN GOLF TOURNAMENT IN Lake Wood 2010
名俳優の名を持つ“ルーキー”もホストプロ!!
そもそもの由来はもちろん、名俳優からだ。昭和を代表する人気刑事ドラマ「西部警察」を見て、渡哲也さんの名演技に惚れ込んだ兄の憲明さんが、「次に生まれてくる子は絶対に哲也にして!」と、母親にねだったことから、弟の運命は決まった。
ゴルフとの出会いは10歳のとき。なかなか100を切れなかった父親が、「お前は将来、ゴルフで苦労しないように」というユニークな理由から、地元熊本県の「坂田塾」に入れてくれた。そこですっかりゴルフにハマリ、それからはトントン拍子でまっしぐら。
「活躍するならやっぱり海外でしょう」と、東海第二高卒業後は単身、オーストラリアへ。留学中の2006年は、22歳でプロ転向を果たした。
昨年の出場優先順位を決めるファイナルQTでランク8位に入って今季の出場権を手にするまでは、豪州や韓国のツアーを渡り歩いていた。昨年は、時給680円のフィットネスクラブで食いつなぎ、辛抱強く出番を待った。
そしていざ、デビュー戦。
4月の開幕戦「東建ホームメイトカップ」で17位に入り、幸先の良いスタートを切ったのもつかの間だった。
躓いたのは、5月の日本プロだ。
予選2日間で、いまをときめく18歳、石川遼とのプレー。
いきなり、これまで経験したことのない大勢のギャラリーを前にして、「欲が出た」。
良いプレーで、一気に名前を売りたい。
それが、逆にプレッシャーになったのか。同大会からあとは予選通過はおろか「100位台をうろうろするのが精一杯」。すっかり調子を崩してしまったという。
いまは、自信回復に懸命だ。
「自分は主催者推薦で出ているわけではない、ちゃんと自力で権利を得てここにいる。それだけの力があるから、ツアーに出ている」。
そう強く気持ちを持つことで、必死に自分を取り戻そうとしている。
今大会主催の株式会社トーシンと、スポンサー契約を結んだのも、“ルーキーイヤー”の今年。
でも、恩に応えるとか、そういう気負いはあえて持たないようにしている。
「宮里藍選手も、優勝インタビューで言っていたけれど、今の僕も“Nothing to Lose”。失うものは、なにもないんです。ルーキーで、チャレンジャー。結果ばかり見ていたって仕方ない。多くを語る必要もない。なにも考えず、思い切ってコースに挑めばいい」。
それが出来て、初めて周囲から認められたり、評価されたりする。それに、ただ一心不乱に戦う姿を見せることが、恩人への何よりの恩返しになる。