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マンダムルシードよみうりオープンゴルフトーナメント 2005

広田悟この日19日の父の日に、念願の優勝報告

大会主催マンダムの西村元延・代表取締役社長執行役員より、優勝副賞のルシード1年分が贈られた
波乱万丈な人生だ。13歳のとき、父親のすすめでゴルフを始めたが、高校に入学するなり横道にそれた。
改造バイクに夢中になった。ゴルフなど見向きもしなくなり、学校にも行かず、ハチマキ頭に白い特攻服を着て、仲間と轟音をとどろかせ、街中を走り回った。
派手なけんかもしょっちゅうした。フラフラと職を点々とし、一度は勘当を言い渡された身だ。

そんな広田が再びゴルフの道に舞い戻るきっかけとなったのは、19歳の春だった。何気なく見ていたテレビニュースに見覚えのある顔が写った。

高校教諭から力士に転身した智乃花関。

それは中学時代、保健体育を教わった教育実習生、成松伸哉先生だった。
安定した職を捨て、長年の夢をかなえた、とアナウンサーが告げたとき、その場で「俺も、夢を追いかける人生を送ろう、プロゴルファーになろう」と、決めたのだ。

一時は遠のいていた師匠・松永一成の門を再び叩き、それから、死に物狂いで練習を積んだ。
それでも思うようにいかず、一銭も稼げない苦しい時代も味わった。

2002年に滑り込みで初シード入りを果たしたものの、2003年にはシード落ち。昨年、再びシード権を取り戻して今年、この1勝を勝ち取るために、たくさんの人たちの助けがあった。

7年間の交際を経て、2003年に結婚式をあげた美保子さんはもちろん、稼げない時期に、地元の有志が集まって結成された後援会は『あほうどりの会』。
メンバー約30人の惜しみない支援のおかげで、心置きなくゴルフに専念することができた。

小さいころから迷惑のかけどおしだった父親。
プロ入りを果たしてからも、何かと構いたがる父がうっとおしくて、些細なケンカからこの6年間というもの、まともに口をきいていないが、感謝の気持ちは常にあったのだ。

シングルの腕前を持つ父親の確かなゴルフ理論は、いまも体に刻み込まれていると感じる。
スィングに迷ったとき、「ああ、そういえばオヤジはあんなことを言っていたな」と思い出す。そこから解決策が見つかることも、多いからだ。

自分も一児の父となり、養う家族を持って、ようやく気がつくこともある。
優勝インタビューで、父親への思いが自然とあふれ出ていた。

「ここまで来られたのは、オヤジのおかげなんです」と、言ったとたんにこらえていた涙がこぼれ落ちた。
こみ上げてくるものをかみ締めて、懸命に言葉をしぼりだす。
「・・・オヤジのおかげで、こうして念願の初優勝をあげられたんです。オヤジには、感謝をしないと・・・」。

ちょうど重なったこの日最終日の父の日。
「やっと自分でメシが食えるようになったよ」と、伝えるつもりだ。
  • 今年も大活躍だったキッズ・ボランティアのみなさんと・・・

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