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ブリヂストンオープン 1999

「ツアーを支える人々」連載最終回

桑原将一と、本吉さん。心から信頼のおけるスタッフがいるバスには、夕方になると、用事のない選手も大勢訪れて憩っている。
 クラブ技術のスタッフが時と手間をかけて調整したクラブは、選手によって、やがていくつも勝ち星を積み重ねられ、何千という賞金を稼ぎ出していく。たったひとりの選手の手にしか馴染まない、オリジナルのクラブ。クラブの歴史が、そのまま選手、スタッフの歴史なのだ。
 そのクラブが、忽然と彼らの前から消え去ったとしたら…今年7月、不幸は現実のものとなった。

 7月、英国・ロイヤルバークデール、全英オープン。開催前日になって、一柳さん、内田さん、本吉さんたちクラブ技術スタッフのもとに、ショッキングな連絡が入った。

 ヒースロー空港で、契約プロの細川和彦のクラブが、バッグごと盗まれたというものだった。海外遠征先での盗難は、それほど珍しいことではないかもしれない。最悪の事態も、覚悟していなかったわけではないが、それでも、3人は無念さを隠しきれなかったという。

 「何百回したか数え切れないくらいの調整を繰り返し、思考錯誤を繰り返してきた、大事なエースクラブだったんだ。細川プロも悔しかったろうけど、ボクらもその気持ちは同じだった。言葉では言い表せないくらいだったね。…そうだね、わが子を亡くしたような気持ちといったらいいかな。本当にショックだったよ」(一柳さん)。

 細川自身は、「命を取られたようなもの」と、そのときの気持ちを表現していた。 クラブを失ったことで、打ちひしがれていたのは、細川だけではなかった。

 だが、落ちこんでばかりもいられない。細川のために、エースクラブに変わる別のクラブを用意してやらなくてはならない。

 帰国後、細川とスタッフで綿密に話し合った結果、今度作るクラブは、それほど特殊なものではなく、市販されたクラブに近いもの、スペックにもそれほどこだわらず優しいタイプのクラブを作ることに決めた。

 「こだわりすぎると、最悪の事態に陥ったときの痛手がより大きくなる、とプロが言うんです。『今度は、こだわりを捨てよう。手に入りやすいクラブにして、ショックを減らそう』って」(本吉さん)。

 クラブを失って2ヶ月後、細川は全日空オープンで、1年半ぶりに勝った。 それまでずっと、2位ばかりが続いていただけに、新しいクラブで勝てた細川の喜びは大きかった。

 内田さんは言う。「今思えば、クラブを亡くしたからこそ、勝てた…そんなふうに思えてくるんです。こだわりを捨て、気持ちを切り替え、精神的にたくましくなったからこそ勝てた。細川プロの優勝は、この仕事をしている中で1番嬉しかった勝利のうちのひとつです」。

 ひとつの勝利は、プロだけの力で成し遂げられるものではない。表面からは見ることのできない、数え切れないほどの人々の後押しによってはじめて達成できるのだろう。

 技術スタッフは、毎週毎週、会場にバスを乗りつけ、選手のプレーを芯から支えている。

★ ブリヂストンのサービスカーからは、毎日、バスの中で起こる事件や会場内でのできごと、契約プロの新情報などをインターネットで発信しています。写真構成、記事編集、デザイン入力など一手に引きうけているのが、“サービスカー広報担当”を務める望月宏一さん(34歳)と都築徹さん(29歳)。特に、ページ内の『サービスカー日記』はファンに好評で、1日、数万件のヒット数があるという。「楽しい情報、いっぱい載せてますから、ぜひ、覗いてみてください」と望月さん。 ブリヂストンのホームぺージアドレスは、『http://www.bs‐sports.co.jp』
  • 熱心にインターネット用の写真を獲る本吉さん(左)
  • 撮った写真はバスに持ち帰り本吉さんとすぐに編集。

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