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石川遼は、最優秀新人賞島田トロフィ受賞
記念の年に、悲報が飛び込んだのは11月だった。
優勝賞金4000万円の新規トーナメント「The Championship by LEXUS(レクサス選手権)」の会場に、衝撃が走った。
島田・前会長が、膵頭部癌のため64歳でこの世を去った。
選手時代は公式戦にすべて勝ついわゆる当時のグランドスラムを達成。通算15勝。輝かしい成績を残したあと99年に日本プロゴルフ協会(PGA)から競技部門を離して発足したJGTOの初代チェアマンに就任。
PGAのプロテストを受験しなくてもトーナメントに出られる制度を作り、「世界に通用する選手の育成」をスローガンに底辺拡大に力を尽くし、現在の男子ツアーの礎を築いた。
また多忙を極めた会長職のかたわらで、後進の指導にも熱心だった。
その功績をたたえて「島田トロフィ」とその名を冠した「最優秀新人賞」は、ツアープレーヤーに転向して3年位内、またはツアー通算30競技未満の選手の中から優勝と賞金ランキング、平均ストロークの3部門のポイントによって選出される。
訃報が伝わった当時、同賞の最有力候補につけていた石川遼は、「アマチュア時代も、プロになってからも、こうしてたくさんトーナメントに出させてもらえるのは島田さんのおかげだと思っています」と改めて感謝して、「今年、取ってそれが島田さんに伝わればいい」。
今年ツアー1勝。プロ1年目にして獲得賞金は史上最年少の1億円を超えてランク5位に。
42ポイント獲得は、2位を大差で引き離しての同賞受賞は17歳から故人への、何よりの恩返しとなった。
毎週末には1万人を優に越える観客を動員し、いまや社会現象にまでなった高校生プロ。
それこそ島田・前会長が、コツコツと築いてきたこの10年間に遺した至宝といえるだろう。
しかし石川が島田・前会長から言われた中で、もっとも印象に残る言葉はむやみやたらな励ましではなかった。
関西弁で「無理せんでいいからね」と、常に労るようなその台詞はスタッフやずっと目下の者にまで隅々と目を配っていた在りし日のそれとまったく同じものだった。
亡くなったのは、石川がプロ転向後初となるツアー初優勝をあげたマイナビABCチャンピオンシップ翌日の11月3日、月曜日。
まるでそれを見届けるかのように、静かに旅立った。
島田・前会長がもし生きていたら、この日8日(月)に行われた「2008年度ジャパンゴルフツアー表彰式」での17歳の晴れ姿もことのほか喜んだに違いない。
またいつものように、感激に目を真っ赤に腫らしたことだろう。
そして、きっと今でもあの優しい笑顔で“遼クン”の活躍を見守っているような気がしてならない。
合掌―。