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林由郎氏が死去

2003年の日本ゴルフツアー選手権で功労賞を受賞して、島田幸作・前・JGTO会長(故人、右)から表彰を受ける林氏(左)。
戦後のゴルフ界の隆盛を築いた林由郎(はやしよしろう)氏が1月2日の朝、老衰のため、茨城県内の施設で死去した。89歳だった。

日本プロ4勝、日本オープン2勝など、通算12勝をあげた一方、後進の育成にも熱心で、青木功やジャンボ尾崎ら、錚々たるトッププロが弟子に名を連ねる。

小学校を出てすぐに、自宅近くの千葉県・我孫子ゴルフ倶楽部でキャディを始めたのがゴルフとの出会い。研修生を経て、1938年に16歳でプロ入り。戦争の影響で、しばらく活動は出来なかったが1948年に、戦後のトーナメント復活の初戦でもあった関東プロで初優勝をあげる。

翌年、戦後第1回目となった日本プロでも逆転で優勝を飾り、さらに1950年には9年ぶりに再開された日本オープンも制覇。
1955年、60年には関東オープンにも勝った。小柄ながら多彩な技で、当時の公式戦タイトルにすべて勝つ、いわゆる“グランドスラム”を達成した。

現役をしりぞいても、日本プロゴルフ協会の理事となり、競技委員長としても活躍するなど、中村寅吉氏とともに、戦後のゴルフ興隆の担い手となった。

優れた指導者としても知られた。いわゆる「我孫子一門」に青木、ジャンボ、飯合肇、女子プロなら福嶋晃子選手ら、賞金王・女王が名を連ねる。多くのトッププレーヤーの父親的存在でもあった。

「プロゴルファーとは、ひとりでも多くの人にゴルフを楽しんでもらう、ゴルフの伝道師のようなもの」が口癖。生涯、この精神を貫いた林氏は、日本のゴルフトーナメント界の発展に大きく貢献したことが評価されて2003年に、JGTOが制定した『JGTOゴルフトーナメント功労賞』を受賞している。

昨年末の杉原輝雄氏に続いて日本ゴルフ界はまたひとり、偉大なゴルファーを失った。

通夜は8日午後6時、告別式は9日午前11時から柏市(千葉)のセレモ柏ホールで。喪主は長男の由一氏。

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