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三井住友VISA太平洋マスターズ 2012

石川遼が2年ぶりのツアー通算10勝目

つらかったこと、苦しかったこと。この2年間の思いも一緒にカップに沈めた。わずか10センチのウィニングパット。「勝ちたい、勝ちたいと思いながら打つと、あんな距離でも手が震えるのか、と。あんな難しいパットは、今までにはなかった」。打つ前からこみ上げてくるものがあった。どうにかこらえて笑顔を振りまいたが、限界だった。

キャディやマネージャー、クラブメーカーのスタッフ。“チーム遼”の面々。勝てなかった2年間も、変わらずに支え続けてくれた人たちの顔を見た瞬間だ。

ありったけの涙が堰を切った。
「僕なんか、どうでもいい」と、石川は嗚咽した。「みんながこの優勝を味わってくれたら、それで」と、声が震えた。「この2年は本当に色々とあったので」。それを凝縮したかのようなこの日の18ホールに「長かった。一番つらかったのは、意外と今日だったかもしれない」と、また目を赤くした。

単独首位で出た最終日は12番の3連続バーディで、目標にしていた通算16アンダーに到達して、一時は2位に4打差の独走態勢を築いた。だがその直後に降り出した雨。「僕は、悪天候の中で勝ったことがない」。そう振り返るにつけてもよぎった一抹の不安。

案の定、13番でこの日初ボギーを契機に16番、そして17番では3パットの連続ボギーで松村に1打差と迫られた。「またダメなんじゃないのか?」。ふとそう思ってしまった自分に、「この2年で俺は別人になっちゃったのか」と、そんな危惧すら渦巻いた。
「優勝って、どうやってするんだっけ」と自答した。

15歳でツアー最年少優勝を飾ってからというもの、周囲の期待は石川ひとりの肩にのしかかった。常に勝つことを求められ、昨年は未勝利に終わったとはいっても賞金ランク3位はプロ5年目の選手としては、申し分のない成績を残しても、勝ち星がないために、スランプかと言われる。
「遼くんが勝たないとツアーは盛り上がらない」との声が、どこからか聞こえてくる。

「僕自身は、引っ張っていけるような立場の選手でもないのに」。周囲の評価と素顔のギャップは、スター選手の宿命には違いない。だが、どんなに出来た21歳でも、投げ出したくなる時もある。
「でも僕は、もがいているとか、悩んでいるとか大嫌い。苦労して、とかいうのもイヤ。だから陰で凄く頑張って、簡単に出来ているように見せたい。自分でもカッコつけだと思うけど。この2年は全然つらくなかったと書いてください。ちょろかった、って」と、冗談めかして報道陣に懇願したことで、むしろその苦闘ぶりが浮き彫りになった。

期待に応えたいと、血のにじむ努力を続けてきたからこそ成果が出ないとつい疑いたくもなる。「本当に、練習して上手くなるのか?」。その答えはやっぱり、勝つことでしか証明出来ない。

「サポートしてくれる人にも、何もお返し出来ないのがつらかった」。たとえば、エースキャディの加藤大幸さん。
もがく石川を一番身近で見てきた人にも、どんなに歯がゆい思いをさせてきただろう。「迷惑をかけたと思う。でも、加藤さんにボールを打ってもらうわけにもいかない。やっぱり僕が、結果を出すしかない」。そういう意味でも、早く節目の10勝目が欲しかった。

今年4月には、婚約を発表した幼なじみの彼女にも、早く10個目のウィニングボールを渡したかった。「これまでも全部、あげてきたので。でも最近は、くれないんだねと言われたばかりだったので」。
大切な人、報いたい思い、守りたいもの。それらが増えていくほどに、誰かのためを思って勝つことの難しさを痛感した2年間でもあった。

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