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2010年のニューフェイス紹介②<梶川剛奨>
梶川といえば、なんといっても“三つ巴の戦い”だ。
昨年10月。コカ・コーラ東海クラシックで若い2人の賞金王争いに割って入った。
最終日は石川遼と池田勇太と優勝争い。
3人タイのまま最終ホールまでもつれた史上希に見る名勝負は18番で、石川が深いラフからの第2打をピンそばに寄せる仰天のバーディでエンドマークを打ったが池田は言うまでもなく、バーディをたくさん取るかわりに、ボギーやダブルボギーも打つ若い2人を横目にボギーなし。安定したプレーを辛き通した梶川の粘りがあったからこそ大会は、劇的な盛り上がりを見せたのだった。
そしてこの1戦が、梶川の運命を変えた。自己ベストの単独2位は、この時点で獲得賞金は1700万円を超えて、自身初のシード権を確定させた。
1995年のデビューから苦節14年。
千葉県の東葛飾高校からプロゴルファーの道へ。99%の進学率を誇り、東大合格者も出るという進学校からの転身は、周囲の猛反対に遭ったが「腕1本で生きたい」という本人の意志は固かった。
押し切って24歳でプロ転向を果たしたものの、その道のりは遠かった。
一銭も稼げない年が続いたあげくに2007年には頸椎ヘルニアを患って、約半年間もクラブが握れなかった。
そんなつらい時期の最中にも、ひたすら頑固に前だけを見つめ続けた。
ファイナルQTランクは54位の資格で出場権を取り戻したのは、昨シーズン。プロコーチの中島敏雅さんと話し合った。
「僕はグリーン上での思い切りが悪い」。
返しのパットが打ち切れないことが、ほかのショットにも悪影響を及ぼしているとにらんだ2人は弱点克服のために、「今年はとにかく強めにパットを打つ」と決めた。
「それによって、逆に3パットが増えるかもしれないけど、それを怖れていると、これ以上もう上には行けないと思ったんです」。
一念発起の2009年にはもうひとつ、大きなご褒美がついてきた。
部門別ランキングのサンドセーブ率で1位を獲得した。
「いやあ、僕よりバンカーショットが上手い選手は他にも一杯いますよ」との謙遜は、コーチとの二人三脚で練習を重ねてきたショートパットが生きたからこその受賞だった、という自負の裏返しでもあった。
本名は「武」。まだ出場権もない時代に登録名を「武志」に変え、さらに2006年から今の名前で戦いはじめて5年目。「剛奨」と書いて、「たけし」と読む名前を、今こそ世に知らしめるときが来た。
稼げなかった時期も支えてくれたたくさんのスポンサーと、昨年2月に結婚したばかりの妻の静さんと。今年こそ、長く待たせた恩人たちに報いるためにも、このオフは「今まで以上に課題を持って取り組む」。
新しい1年を占う意味でも、まずは2月4日に開幕するアジアンツアー「アジアンツアーインターナショナル」で腕試しだ。
※2010年のニューフェイス紹介①<額賀辰徳>