記事
東建ホームメイトカップ 2010
倉本昌弘が「俺が勝つようじゃあ・・・・・・」
ベテランの経験と知恵を駆使して、3日間とも安定したスコアを記録。優勝戦線に名乗りを上げた。
もっとも昨年の今頃は、とても強気なコメントは出なかった。途中たとえ上位にいても、最後まで続く気がしない。「以前の僕なら、優勝なんてあるわけないと言ったでしょう」。
しかし今年は違う。
米フロリダに渡り、パッティングの指導を受けたのはつい先月。
以前、倉本の専属キャディをつとめ、また丸山茂樹の米ツアー初V(01年ミルウォーキーオープン)をアシストしたジュード・オライリーさんが、レッスンプロに転身。
「彼の、もっとも近くで選手を見て来た経験が、コーチ業に生かされている」。
機械を使ったストロークのシミュレーションなど、アドバイスを受けるうちに、「自分の欠点がよく分かってきた。心の不安がなくなって、落ち着いて打てるようになってきた」。
それは他のショットにまで良い影響を及ぼして、「ゆったりとプレーが出来る」と、嬉々として帰国した。
その直後の訃報には、ショックを受けた。
同じ広島県出身ということで、10年来の付き合いがあった巨人軍の木村拓也コーチが今月7日にくも膜下出血で逝去。
ゴルフが上手だった木村さんとはよくラウンド中に、「野球で芽が出なきゃ、ゴルフをやればと言って笑い合った」。昨年末には空港で偶然出会い、「一度試合を見に行くよ」と約束して別れたばかりだったという。
2003年アコムインターナショナル以来となる通算31勝目は、天国の友人へ・・・・・・。
3打差の8位タイなら「十分に、チャンスはある」。
2002年の全日空オープン(現・ANAオープン)に、ジャンボ尾崎が成し遂げた55歳の最年長Vに次ぐ記録達成へ。92年から8年間を務めた元・選手会長は、その可能性を示唆しながらも、後輩たちにハッパをかけることを忘れない。
「でも、僕なんかが勝っちゃうようじゃあ、男子ツアーは終わりですよね」。
厳しい指摘も、ジャパンゴルフツアーを思えばこそだ。