記事

河野先生が子供たちへ伝えたかったこと!

午後は「夢を持とう!」をテーマにした講演会。
まずは、昨年10月に河野が初優勝した『マイナビABCゴルフチャンピオンシップ』のVTR観賞からスタートすると、子供たちから大歓声が沸き起こる。
次いで、黒板に向かって自分の生い立ちを書きながら、子供たちにゆっくり語り始めた。

昭和56年東京生まれ。
小学校の頃、ゴルフが好きな父親に連れられ、月に1回くらい練習場に行っていたが、4年生の部活はサッカー部、5年生になって何を思ったか工芸部に1年間所属、6年生ではバスケット部と、ゴルフにはあまり関係ない生活を送っていいた。
そして中学校で、富士山がある山梨県に引っ越し。
ここでも部活は野球部で、中学2年生で初めてゴルフのコースに行ったものの、あくまでもメインは野球で、ゴルフは自分にとって遊びの延長だった。
ゴルフをやるきっかけとなったのは、中学3年生の夏、野球部の試合が終わってしまったため、ゴルフの試合に初めて出場したことだった。
河野は体も細く、何か他に得意なものもなかったから、周りの同級生が誰もやっていないゴルフなら、ちょっと練習したらすぐ1番になれるのではと考えた。
「そうすれば目立てるし(笑)、成績良ければ賞状もらえて、夏休み終わりの始業式に、全校生徒の前で校長先生から発表されたりするのも夢だったしね」と子供たちを笑わせた。

そして高校でゴルフ部に入学。
部員が先輩を入れて4人、県内でも15人程度のため、試合に出れば県で15位になれるという軽い気持ちでいたところ、たまたま優勝してしまった。
関東大会に出ることになったが、今度は140人中100位という散々な成績。
これでは通用しないなぁと発奮して、毎日練習するようになった。
しかしそれでも、高校最後の全国大会では、101位の成績だった。
その後、推薦で東洋大学に進学。大学時代は全国で9位になった。
練習の成果で腕は上がっていき、2003年にプロ転向したが、試合に出られない日が続いた。当時、同級生に宮里優作といういい目標があり、「同じようにやっていてはダメだ。厳しい環境で自分を鍛えよう」と一念発起して、アメリカのサンディエゴに渡った。4年間ミニツアーを渡り歩き腕を磨いた。
そして2010年にツアーメンバーとなり、2011年10月の『マイナビABCチャンピオンシップ』でツアー初優勝を決めた。
最終ホールの劇的なイーグルで裵相文に追いつき、プレーオフに持ち込んだ。
約2時間にわたる激闘の末、6ホール目にバーディを奪い、ついにトップに立った。

「僕はプロになりたいと思ってから現在まで14年間、練習をしなかったのは年に5日くらいで、360日は欠かさず球を打ち続けてきた。毎日続けていれば何か形になるということをみんなにわかってほしい。勉強でも、スポーツでも何でもいいんだよ。例えば大人にダメだと言われるゲームや漫画でも、それを突き詰めて作る人になればそれでいいんだよ。何かのプロフェッショナルになるということは、何かをやり続けることなんだよ。みんなはまだ小学生だから、将来どういう人になりたいとか何をしたいかを思い浮かべて、それを諦めないで思い続けること、やり続けることが大事だよ。夢は追い続ければ絶対かなうよ」と熱く語った。

さらに、「僕も来月から試合が始まるけれど、来月に調子がよくなるように毎日何をしようかと考えている。僕は学校がないから、ずっと寝ようと思えば寝てられるし、漫画も読んでいられる。ゲームもずっとできる。でもそれではだめだよね。練習もやりすぎはよくない。自分で納得するだけやって、休む時は休む。みんな勉強もそうだよ。ずっと無理してがんばっても翌日力を発揮できなかったら報われないからね。気持ちをリフレッシュさせて生活にメリハリをつけることも大切なこと」と自分の経験からアドバイスした。

最後に代表児童から河野へお礼の言葉と大きな花束が贈られた。そして八郷小学校の美しい校歌で締めくくりと思いきや、河野が試合で実際使用しているゴルフボールにサインを入れて、子供たちへまたまたプレゼントしたので、このサプライズにみんな大喜び。

帰り際、子供たちは校舎の窓から一斉に手を振り、「河野プロ〜また来てください」と見送ると、河野も動きかけた車から半身を乗り出し、「6月の全国大会で会おうね!」と笑顔で別れた。

関連記事