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ダンロップフェニックストーナメント 2013
ルーク・ドナルドが連覇を達成【インタビュー動画】
初日こそ「ショットがピンに付かない。下りのパットは凄く速い」と、得意を自負するコースもさすがに1年ぶりの戸惑いからか、ひとつもバーディが取れないまま終わったが2日目からは、すっかりと本来の調子を取り戻していた。
「私にとっても昨年のこの大会以来の優勝で、勝ち方を思い出した」と、2打差で出た最終日もスタートから軽やかに飛び出した。
1番で鮮やかなピンそばのバーディは、2番で5メートルのチャンスも逃さず、今季不振に悩んでいたというショットも「なぜか、ここに来ると良いプレーが出来る」と、4番でもウェッジの3打目を30センチにくっつけた。
2008年に、飛距離を追い求めて痛めた手首は手術をして治すしかなく、それからいっさいの無い物ねだりをやめた。かわりに磨きに磨きをかけてきた小技はまさに神業。7番で10メートルを沈めて独走態勢を築いた。後半は、金亨成(キムヒョンソン)がじわりと迫ったが、「守り過ぎないように。適度に攻めて金選手に隙を与えないように」とポーカーフェイスがピクリとゆがむこともなかった。
15番でティショットを右の松林に打ち込むミスでも冷静に、砂地から確実に出して、ボギーでしのいだ。17番では、金の大トラブルも手伝って、終わってみれば6打差の圧勝で軽やかに逃げ切った。
今回は出発直前に、エースキャディのジョン・マクラーレンさんが“ドタキャン”。夫人の出産と重なって来られなくなりきゅうきょ、マネージャーのオリバー・バンクスさんにピンチヒッターを頼んだのが唯一、周囲の心配の種だったがそれも取り越し苦労に終わった。もはや、好きを通り越して「愛している」とまで言った。ここフェニックスカントリークラブは、改めて「僕のゲームに合っている」と、難コースもこれで完全に手中におさめた。
地元ファンの心もがっちりと掴んでいる。向こうにサインを待つ大ギャラリーの姿を見つけるや、即座にポケットから自分であらかじめ用意をしたペンを取り出し、群衆の中に飛び込んでいく。ホールとホールの移動の合間も触れ合いの気持ちを忘れずあちこちで、ロープを挟んで地元ファンとのハイファイブ・・・!!
2011年に、史上初の欧米の“Wキング”のそんな気さくな振る舞いに、ファンが喜ばないわけがない。松林のあちこちであがる感激の声を背に、「宮崎のみなさんはいつも本当に僕に優しくしてくださって。今年も僕にたくさんの力をくれました」と、溢れる感謝の気持ちをこめて「アリガトゴザイマ〜ス!!」。日本語は、これしか言えないんですがと、恐縮しきりで頭を下げる仕草がまたニクい。
2年連続の表情式で終始うかべた柔和な笑みが、いっそう崩れたのは優勝副賞の宮崎牛一頭を受け取った瞬間だ。期間中はほぼ毎日、夕食に食べたという大好物は「アメリカではめったにお目にかかれないほど美味しいお肉」とすっかりやみつき。それもそのはず、地元が誇る宮崎牛は、今年も食肉コンテストで連続の日本一・・・!!
「家を出る前に、家族や友人からぜひ今年もとリクエストをもらって来たので」と朝は毎日、必ず2人の娘とテレビ電話でおしゃべりしてから出かけるという良きパパは、何よりこのお土産を一番に喜んだ。
同時にスタッフは青ざめた。今や押しも押されもせぬスター選手も、初来日の2007年から変わらず、驕り高ぶることもなく、むしろ普段はじれったいくらいに物静かで礼儀正しく、誰もが「ルークは本当に、普通にイイ人」と、その人柄にはみなベタ褒めだがただ一点、この選手の宮崎牛への執着だけは、ほとほと手を焼いている。
当然のことながら、牛一頭などすんなりと、自宅のあるイリノイ州のエバンストンには持って帰れるわけもない。
生肉の輸入は税関でそれはそれは厳しい安全チェックやなにやら、非常に煩雑な書類審査を通過しなければとうてい不可能で、たいていは相応の金額に換金して持ち帰る外国人選手がほとんどという中で、ルークは「ミヤザキビーフだけは、絶対に現物で持って帰る」と、そこだけは頑固に言ってきかないそうだ。
今年も、昨年の苦労を思い返してさっそく頭を抱えたスタッフを横目に「今年も大きな冷蔵庫が必要だね」と本人はニコニコと、本当に嬉しそう。来季のスケジュールはまだ未定だそうだが、「なんとか今大会も遠征に組み込んで、次はぜひ3連覇を狙いたい」との言葉の裏に、3頭目の宮崎牛があることは間違いない。大会が大いに盛り上がることは、また間違いなしでもスタッフのひそかな気苦労はまだまだ続きそうだ。